大山白山神社 岐阜県加茂郡白川町水戸野 式内論社(美濃国賀茂郡 大山神社)
旧・県社
現在の祭神 菊理姫神・伊佐那岐神・伊佐那美神
[合祀] 家津御子神・速玉男神・熊野夫須美神・志那都比古神・志那都比女神
本地 十一面観音

「東濃白川県社白山神社誌」[LINK]

本社の奥院は美濃国加茂郡白川山の絶頂に在りて四方の崇敬日夜織るが如しと雖も道路険阻にして登山に困難なる所より山麓に室松寺を立て其の境内に社殿を設け大宮と号せり 是れ今の村社大宮神社にして奥院は即ち今の県社白山神社なり
本社の祭神は古来菊理姫神を主神と為し相殿に伊弉諾伊弉冉の二神を配祀す 斯して白山比咩神社を此地に奉祀せるは今を距る一千二百年以前にして実に元正天皇の養老二年二月釈泰澄大師と称する者当国武儀郡桐洞山字水晶山を経て斯神を加賀国石川郡(現今国幣中社白山比咩神社)より勧請し奉れるなり
[中略]
されば寛政五年室松寺現住覚隆の白山御縁起にも 夫れ濃州加茂郡大山神社を白山大権現と申奉るは養老二年戊午の年開基越前越知峯に棲める泰澄大師此峯に黄気の空を射る許り立登りけるを観望ありて正に是れ天神降光の霊境ならん事を計り知られ自ら攀登り給ふに杉林蔭森たる清浄無双の宝地なりければ弥益に径行観誦なしつゝ一大樹下に到りましましけるに姿勢貴き老翁の左御手に五顆玉を持ち右に宝剣を取らせ出現ましまして吾は是れ日本の元神伊弉諾尊なりと告げさせ給ひける云々と記されけり
[中略]
此の神社の御神体に就いては天文六年九月室松寺沙門円海の記せる白山権現の縁起中に
本堂は白山御本地十一面観音を表し十一間なり 内陣の本尊五体は中尊十一面観世音左右千手観音西方のきやら主弥陀仏六道の能化地蔵菩薩いづれも泰澄の御作なり 外陣に不動毘沙門 大峯おくの院に至て三社 脇の末社は熊野州原の権現なり 宝堂は大黒天なり 麓に剣の宮あり 本地大聖不動明王なり 之は神はじめて此の御山に登り給ふ時大霊の剣を置たまふ故につるぎの宮といふなり その外白川筋さみの各二十四ヶ所の諸やしろは惣て当社の末社なり 文明の比まで神田と伝へし所多しとなり
[中略]
往昔養老年間釈泰澄の創建したる本社の壮観は委細に攷ふる由なしと雖も今之を白山御縁起に徴するに本堂に十一面観音御脇立不動毘沙門南向九間四面大堂内室造りにて飛騨之工匠の来て暫時に建立有りしとなり 是ぞ当社建立の権輿にして其の規模の如何に広大なりしかを察せらる
爾来世を重ね年を経る随に漸次尊信の度を加へ御旅所前堂に大黒天奥之院三社御神甍を並べて立せ給ひ一之神門は若松村に在り二之神門は苗木領分佐美須崎村にあり三之神門は御領分成山村に在りとは由緒奉書に記す所なり 而して其の観望は玉泉百囲杉木森々として正直の儀を表し無数の華木班々として同塵の相を現し十一伽藍巍々として千秋に聳え十一面化身交も異光を発ち悦意の人間風日至らざる所宝閣大楼山頭に矗立すとあるを見ても其の境域の如何に広濶なりしかを思ふべし