六條八幡宮 高知県高知市春野町西分 旧・郷社
現在の祭神 品陀和気尊(応神天皇)
[合祀] 倉稲魂命・天忍穂耳尊・天穂日之命・天津彦根命・活津彦根命・熊野久須比命・多紀理毘咩命・市杵嶋毘咩命・多紀都毘咩命
本地 阿弥陀如来

「平成祭データ」

由緒

当社は、應永九年十月十五日(1402年)に、京都、六條左女牛八幡宮から御分霊を移し迎えた社であり、高知県吾川郡春野町西分地区の氏神となっています。
[中略]
境内地及び附近一帯の字名を「大寺」と総称していますが、昔時荘大な寺院が有ったところで慶長年間(1596年〜1614年)に退転したと伝えられています。 境内地の山を大寺山と呼び社地の字名を奥屋敷と称しつづいて中屋敷と呼ぶ地名もあり寺院の規模も相当大きな伽藍堂が存在したことがうかがえます。 又、当社には明治初年まで本尊として僧行基(669年〜749年)が彫ったという本地阿弥陀木仏が安置されたとのことであり、僧行基が巡錫のさい仏像を奉納せられたものと察せられる故に、神社そのものは京都より勧請以前奈良時代後期にはすでに神仏習合の形で地区住民が守護神をこの地に祀っていたものと思はれます。