古来、六所大明神と称し、不入斗村の鎮守として奉斎されていた。 創建年代は明らかでないが、天正十九年正月、大久保石見守の検地に当たり、境内は村高外の除地として税を免除し、以後明治四年に至る 。享保九年正月の別当祥雲寺の記録に、六所明神の本地は聖観音とし、運慶作の像のあったことがみえる。 明治四年、村社に列し、大正十五年十一月、幣帛供進の指定を受ける。