六所神社 愛知県豊田市坂下町 旧・県社
現在の祭神 猿田彦神・事勝国勝長狭神・岐神
[配祀] 天照大神・倉稲魂命・日本武尊
本地 地蔵菩薩

「松平町誌」

六所神社[LINK]

 六所神社は、上宮と下宮に分かれる。 上宮は、もと蜂ヶ峰とか吉木山、さらには明神山とも呼ばれ、三河本宮山や猿投山とともに三河三霊山のひとつといわれた六所山(標高603m)の頂上にあり、下宮はその山麓にある。
 初め六所神社は産土神として大山祇命をはじめ猿田彦命、日本武尊等6柱の神を祭祀した神社であった。 永和3(1377)年松平(徳川)氏の始祖親氏によって、奥州塩竈大明神が六所山蜂ヶ峰に勧請されたとき、若宮八幡宮と合祀して山頂の奥院に移された。 今ある蜂ヶ峰神社がこれであり、里人はこれを「隠居神様」と呼び、現在の六所神社の摂社として今日に至っている。
 上宮の右裏手に「寺屋敷」とよばれる場所がある。 親氏が築山妙昌寺の開山無染融了(享徳天[元]年1452歿)を別当職として、蜂ヶ峰に建立した堂宇の跡らしく、これが地蔵院宝光寺の前身であろう。 今日の地蔵院は、応仁元(1467)年、妙昌寺2世華嶽祐厳和尚によって、吉木山麓の宮口村に本地堂が造立され、芳樹山地蔵院宝光寺と号している。

「豊田市史」1巻

新仏教の進展[LINK]

 無染融了の詳伝は、その法孫で当寺三世葺嶽融厳(明応3・10・22没、額田町広祥院開山))が師の没した翌年の享徳二年(1453)に記録したものを江戸時代の中頃に写したものが残されている。 それによると明徳三年(1392)松平氏の始祖親氏(芳樹院殿俊山徳翁大禅定門、永享9、4、12没)は無染融了を開山に請じて一宇を創建し妙昭寺と名付けた。 [中略] 又寺中に若宮権現を守護神としてまつっていた。 親氏はこの権現と塩釜六所明神を勧請して、六所神社を創祀、本地仏に地蔵、別当に地蔵院を置き、妙昭寺の支配とした。