六孫王神社 京都府京都市南区壬生通八条角 旧・村社
現在の祭神 六孫王大神(源経基)
[配祀] 天照大御神・八幡大神
本地 不動明王

「六孫王権現社縁起」

当社正一位六孫王権現は、第五十六世清和帝第六の皇子貞純親王の御子、御母は文徳天皇の皇子近院右大臣能有公(右大臣左大将贈正一位文徳源氏祖也)の御娘なり。 六孫王と号し奉る事は、清和天皇第六の皇子の御子にて渡らせ給へはなり。 其気質温柔にして、しかも武威勇烈、好文博学にして、兼て歌道に長し給ふ。
[中略]
第六十一世朱雀院の御宇承平・天慶の間、平将門、下総国にて乱を起し、藤原純友、伊予国に寇す。 将門は桓武天皇の曾孫良将の子なれは、王と成も分外なり。 純友は房前の三男真楯の苗裔なれは、臣と成て共に天下治めむと約して、東西一時に乱を起しけれは、 六孫王東国・西国の追討使をうけ給はりて、藤原忠文・小野好古等と共に、東国・西国に赴き給ふ。 将門終に下総国にて亡ひしかは、純友も西国にて討れぬ。 凱陣の後、諸将に勧賞行はれて六孫王は鎮守府の将軍に任し給ふ。
[中略]
第六十二世村上天皇の御宇天徳二年秋乃末より、六孫王御心ち例ならすおはせしかとも、薬餌をも用い給はす。 祈祷をも修せられす。 [中略] 今年六十四歳、是六十四卦の易数にて、我末期今年にあり。 たとひ分蹤の四大は滅すとも、霊魂は龍と成て、永く此西八條の池に住て、子孫の繁栄を守るへしとて、 其後飲食をとゝめ、法花経を読誦し、専浄業を修して、終に十一月十日薨逝し給ふ。 是に依て当初より、此御神の本地をあかめて不動尊とせるにや。 龍は是不動威怒王の三昧耶形倶利迦羅龍王の化現なれはなるへし。 尊骸を此地に葬奉り、御廟をきつくのみなかりしを、其後、神祠を営造して六孫王権現となん崇奉りける。 束帯の神像儼然として殿内に鎮坐せさせ給ふ。
[中略]
本地不動明王は、興教大師覚鑁上人の手造一刀三礼の懇精を以て彫刻し給へる処なり。 御長六尺はかり、霊応古今にいちしるし。