「讃岐国名勝図会」巻之十
飯山大明神
西坂本村にあり。
社人秋山氏。
祭礼九月十日。
同村産土神。
土人、鵜度越神社といへり
祭神鷲住王。
本地堂 観世音
末社 荒神、境内にあり。この余四座、所々にあり
社記に曰く、当社は履中天皇御宇、鯽魚賎別親王の御子鷲住王、大勇力にて相撲を好みたまひ、あるとき宮中を忍び出でて摂州住吉に住居したまふ。
その妹君天皇の后となりたまひ、御対面ありたきによりて天皇召させられれけば、直ちに阿州肉喰の里に遁れたまひ、鄙賎と交はり、力業を楽しみ高位に登る事を好みたまはず。
阿州にて一子を残したまひ、今同国の野根氏これなり。
その後当国那珂郡に来り、勇力の人を集め、力業を楽しみたまひ、ここにても一子を生ず。
家の辺に喬木多かりしゆゑ、よりてその子孫高木を氏とす。
鷲住王没後この地に葬り、社を建てて飯山明神と崇め奉る。
その神をいのれば勇力を得るといへり。
高木右馬助およびその甥高松弘憲寺宥遍上人、皆この神の末葉にてその勇力世の知る所なり。
康保元年、菅原氏の人修造して軍神とす。
その後村民に託宣ありて、我は観音の化身なり、必ず境内に観音を安置し本地となすべしとありしかば、堂を建てて祀れり。