猿投神社 | 愛知県豊田市猿投町大城 | 式内社(参河国賀茂郡 狭投神社) 三河国三宮 旧・県社 |
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現在の祭神 |
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本地 |
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○三州加茂郡高橋庄狭投神社大碓命といへり。 大碓皇子は景行天皇の御宇牟義公阿蘇首池田首の始祖也。 然るに大碓皇子登狭投山中蛇毒薨ずと本縁あるに、日本武尊登胆吹山と同し。 然れば狭投神社亦日本武尊に似たり。 度会延経云、御使朝臣の祖、景行天皇皇子気入彦命なり。 三河国に使し賊を捕ふ。 仍て姓を賜はる、続日本紀及び姓氏録に見ゆ。 若此命を祭るか、大碓皇子は美濃国牟義の祖なり、三河国に故あること見侍らずといふ。 亦狭投摂社十五所は大概日本武尊御子を祭れり。 亦旧記を考ふれば、日本武尊御子佐伯ノ命、三河国御使の祖なるよし見えたり、よく思ひを致すべきかも。
○浮屠氏本地の説、狭投本宮は阿弥陀、東宮は薬師、西宮は観音と云々、 百鳳寺は行基開基せしのよし、慥ならねども、寺僧是を実にせんとて、摂州有馬山温泉寺の行基の像をひそかに写し、人知れず神庫に納めし、これは後世の証とすべき謀にや。