「新編武蔵風土記稿」巻之二百七
(埼玉郡之九)
徳力村
三社権現社
村の鎮守とす、
祭神は伝へず、
社内に本地仏観音・毘沙門・大威徳明王の三尊を安ぜり、
遍照寺持、
末社 稲荷第六天合社 天神
「埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉」
三社神社
岩槻市徳力60(徳力字西)
歴史
『風土記稿』の徳力村の項に「三社権現社 村の鎮守とす、祭神は伝へず、社内に本地仏観音・毘沙門・大威徳明王の三尊を安ぜり、遍照寺持、末社 稲荷第六天合社 天神」と記されている。
本殿は三間社流造り(ただし内部に仕切りがない)で、『風土記稿』の記事に載る「観音・毘沙門・大威徳明王」の三体の本地仏の像が、現在も内陣に安置されている。
なお、『明細帳』で当社の由緒について「創立不詳 安政五戊午年(1858)大破に付、氏子協議之上同年再建」とあり、この本殿の竣工年がわかる。
本殿の三間社という構造からもわかるように、当社は、古来、三柱の神を祀る神社として信仰されてきたものの、『風土記稿』にもあるように、祭神については既に江戸時代中期には不明になっていたようである。
『明細帳』は、当社の祭神を天照皇大神・月弓皇大神(月読尊の別称)・宇迦能売命(豊宇気毘神の別称)の三神としているが、残念ながらその由来については伝えていない。