醍醐寺清瀧宮 京都府伏見区醍醐伽藍町 醍醐寺(真言宗醍醐派総本山)の鎮守社
現在の祭神 清瀧権現
本地 准胝観音・如意輪観音

「清瀧権現御事」

凡此神於三国守護密教霊神也、 然則於天竺護龍猛密教、於辰丹守恵果法流、
清瀧名字青龍寺号深可思之、 爰我大師渡大唐、青龍流之瓶水写玉へり、 我朝に為守此法流、大師帰朝之時同船し来玉へり、 日域大同元年也、
然桓武天皇崩御之故、且鎮西御逗留あり、逗留間号雨師明神、 此神天神四所内在之、
大同二年大師入洛後、且有影向室生山、此事有由緒、奉号善女龍王、
其後尊師醍醐山建立時、上醍醐本宮へ移玉へり、
其後堀河天皇御宇寛治四年四月四日、 勝覚権僧正上醍醐西谷准胝堂傍へ奉勧請、 其後又同僧正時奉移下醍醐、
[中略]
然青龍渡給清瀧申事、 龍水精也、水を精清とは申也、三水表之、 青者東也、留東域可守密教表示也、
尋御本地者、准胝・如意輪の二尊、両部理智表示也、
[中略]
又出家形俗形二在之、出家形者其形如地蔵薩埵、 着衲袈裟、両手立五輪、 捧左右乳房程、向外各以大捻す、火甲の磐石の上に結跏趺坐

清水善三「本地仏像の成立 神道関係彫刻の分類」

(3) 調査作品目録

A 本地仏像
  1. 京都市上醍醐寺清滝宮本地仏如意輪観音坐像(11~12世紀)
  2. 京都府田辺町甘南備神社本地仏薬師坐像(10世紀)
  3. 亀岡市出雲神社本地仏薬師坐像(10世紀)
  4. 京都府丹波町新宮寺熊野神社十二所権現本地仏十二躯(12世紀)
  5. 京都府北桑田郡西乗寺(八幡宮)本地仏十一面・阿弥陀・薬師像(13~14世紀)
  6. 滋賀県大日堂(飯道神社)本地仏薬師坐像(10世紀)
  7. 滋賀県大岡寺(椿神社)本地仏薬師坐像(9~10世紀)
  8. 滋賀県建部神社本地仏薬師坐像(11~12世紀)
  9. 滋賀県聖衆来迎寺(愛宕神社)本地仏地蔵菩薩(元徳2年、1330、仏師院芸作)。
  10. 三重県神宮寺(現耕三寺)本地仏釈迦(あるいは薬師か。10世紀)

スティーブン・トレンソン「祈雨・宝珠・龍 ―中世真言密教の深層―」

醍醐寺の龍神信仰

中世の清瀧神信仰

 最初に取り上げたい清瀧権現に関する資料は『醍醐寺縁起』である。 本書の成立年代は不明であるが、最近の研究では清瀧権現に関する部分は十三世紀にその内容が整ったと考えられている。 『醍醐寺縁起』所載の清瀧伝は、次の通りである。
延喜二年二月七日、神降臨三密上乗之壇、語尊師(引用者註――聖宝)曰、我是沙竭羅龍王之皇女、准胝観音化身也、 昔有大唐之時、名我為青龍、吾住彼寺守仏法、故彼寺名青龍寺、是恵果京住之寺也、 弘法大師帰朝之時、予乞被授三摩耶戒、大師不許之、尚追至于船津乞之、大師悟志意深、終令伝授三摩耶戒畢、含咲歓喜、而同船守護、遥浚万里波濤漸遷日域之刻、垂迹於此山施恵於当国、〔中略〕然遷彼峯永所住也、 大唐本名青龍、随水号清瀧、是併為守大師請来之密教、且又為利未来悪世之衆生也、 当山者密厳浄土、花蔵世界、金剛胎蔵冥会和合法性無漏智拳城也、 重垢者無臨、薄福者無住、 我本地身者准胝如意輪観音也、 胎蔵遍智院秘密八印中陀羅尼菩薩、是准胝仏母也、 金剛界会中金剛法菩薩、則如意輪也、 理智不二宅、定恵具足、仮現和光体雨如意宝珠、饒益有情、抜済群類、炎旱降雨稼穡無愁、風雨順時五穀豊饒、万民豊楽、四海泰平、是若不信者不幸也、仰信者幸運也云々、 因茲祈雨之時、孔雀経、仁王経、被宣下、自爾以降為根本、恒例神事、金剛般若御読経毎年三季行之、
 以上の伝によれば、清瀧神は本来「青龍」と呼ばれていた龍であり、空海の師恵果が住した青龍寺の鎮守であった。 空海とともに日本に渡り、名を「清瀧」に変えて、延喜二年(902)に醍醐寺の開基聖宝(832-909)の前に示現し、醍醐山の峯(清瀧峯)に定住した。 清瀧は、娑迦羅龍王の「皇女」であり、つまり女人成仏信仰で著名な『法華経』の龍女と関係が深い存在である。 さらに准胝仏母(胎蔵曼荼羅の陀羅尼菩薩の化身)と如意輪観音(金剛界曼荼羅の金剛法菩薩)という二仏の垂迹(権現)でもある。 醍醐山に定住した後、清瀧権現は密教の法流、国家と万民を護り、旱魃の際に雨をもたらし、五穀を実らせたという。
 次に『清瀧権現御事』(永正十一年[1514]写)という書は、より詳しく清瀧という神が本来はインドの神だという。 そして密教の東流に伴って中国長安に入り、青龍寺で空海と遭遇し、彼とともに日本に渡った。 その後、さらに空海と同行し相次いで九州と室生山に住し、空海入定後に醍醐山に遊行したという。 清瀧は九州では「雨師明神」、室生山では「善女」(善如)という別名で呼ばれていたともいう。
 つづいて、清瀧神信仰を伝えるもう一つの基本的な資料として『スラム清瀧』(大須文庫蔵)所載の伝承がある。
[中略]
 この資料の内容を要約すると、次の通りになる。 清瀧権現は、インド無熱池の龍、後に日本平安京の神泉苑池で祈雨の対象となり、善如龍王として拝まれ、醍醐寺開基の際に醍醐山に定住してきた龍である。 後にとりわけ座主勝覚によって高く崇敬された存在である。 この龍は、両部大日の化身である准胝・如意輪二仏の垂迹であり、その両部大日(理智)が不二であるという至極を表す存在である。 両部大日は、合体して不二の「宝体」(火焔宝珠か)の姿を取る。 そして、准胝と如意輪は、絡み合っている二蛇として現れる。 この二蛇は、本地仏である准胝・如意輪の「霊神」である。 そして、その上に見える五輪塔は、垂迹である一身の清瀧神の「神体」である。
 このように清瀧神の本地垂迹説が複雑な様相を呈していることが分かる。 つまり、「宝体」(火焔宝珠)と「神体」(五輪塔)という区別があって、前者は本地仏レベルの両部不二、後者は垂迹レベルの不二思想を表しているように見受けられる。 宝珠が本地の不二体、五輪塔が垂迹の不二体として解釈されていることは清瀧神の本地垂迹説の特徴だといえる。