仙波東照宮 |
埼玉県川越市小仙波町1丁目 |
旧・無格社 |
「新編武蔵風土記稿」巻之百六十三
(入間郡之八)
小仙波村
東照宮
御宮草創の起は、慈眼大師の発願にして、寛永十五年正月十三日より経営を始め、山を築くこと高五間、宮作成て鎮座し奉れり、
然に同十五年祝融に逢て烏有となる、
依て大猷院殿命を河越城主堀田加賀守正盛に下し給ひ、改造の功を起して荘厳善美を尽せり、
是より以来御造営ごとに官より修理せらる、
[中略]
本宮 三間に四間、玉籬を繞らす、七間四方、外に柵を設く、
幣殿 二間四方、格天井、中央に金幣を植、左右に天狗狛狗を安ず、皆金を押す、
又金旗を植、竿頭に金龍を冠らしむ、
楣間に額十二を掲ぐ皆鷹を画けり、是寛永十四年九月十七日阿部対馬守正次献ずと云、
日々幣前に神酒芳茗等を供し奉れり、
拝殿 二間に三間、左方に額あり、歌仙三十六人の像をえがく、
[中略]
隨身門 二間に三間、豊磐間土・奇磐間土の二尊を安ず、東照大権現の扁額は、後水尾院宸翰なり、
本地堂 東照宮の御本地仏を安ず、七間四方なり、或は大堂とも号す、
慶長十七年御建立弥陀を安ず、[中略]後に大師彫刻の薬師を安じ、傍に十二神をも置、日光遷座の時神柩を安ぜし所なり、
[中略]
別当喜多院 天台宗、星野山無量寿院と号す、近世僧正位の寺格と定めらる、此山仙芳仙人の住せし処なり、
天長七年勅願に依て、慈覚大師此古跡を開闢して堂舍坊舍功竣しとき、無量寿院の勅号を賜ひしとなり