浅間神社 神奈川県横浜市磯子区森2丁目 旧・村社
現在の祭神 木花咲耶姫命
[配祀] 源頼朝・素戔嗚命・天照大神・倉稲魂命・火産霊命・国常立命
本地 薬師如来

「新編武蔵風土記稿」巻之七十九
(久良岐郡之七)

森公田村

浅間社

除地、五畝歩、 村の北の方山上にあり、 社二間に二間半、 我羅山の額を掛く、 森三村の鎮守なり、 松本村修験権現堂の持、 故に本地薬師堂は常に権現堂に安す、 相伝ふ此本地の金像は聖徳太子の御作にして、坐像長三寸七分 守邦親王の守護仏なり、 建武年中親王当社を造立して安置せられしと云、 建武は親王薨御の後なれば年代誤あるべし、 又寺伝に其後房州里見氏此辺乱妨の時、堂宇以下焼失せしと云、 本社より北の方一丁余を下りて石小祠あり、下浅間と号す、 前に御手洗池と号して細流あり、 此浅間山は海浜に張出たる高山にて、眺望開け上総の嶂巒天際に連て波涛の如し、 右に当ては富ヶ岡の鼻張出し、夫より二里余を隔て本牧の出崎突出し、 又遥に富ヶ岡の先に張出したるは、相州三浦郡観音崎走水の出崎にして、 この山の眺望殊に美なり、図右に載す[図略]

同巻之八十
(久良岐郡之八)

松本村

権現堂

小名宮田にあり、聖護院末、修験亀谷山と号す、
[中略]
又薬師の像一躯あり、 こは森公田村浅間の本地仏なり、 彼社当寺の持なる故、爰に預置けり