「埼玉の神社 大里・北葛飾・比企」
浅間神社
幸手市北2-4-28(幸手字安面)
歴史
旧幸手宿の北西に位置する荒宿は、かつての宿場の面影をその街並にとどめた市街地である。
当社は、この荒宿に店を構え、近世における幸手宿の経済を支配するほどの勢力を持っていた呉服商長島屋(青木家)が創建したものと伝えられており、本殿や御簾(万延元年・1860)など、建造物・奉納物の銘文に同家の名が見える。
創建の年代については不明であるが、近世中期には既に荒宿の鎮守として祀られていたことは、享保十六年(1731)の宗源宣旨・宗源祝詞及び安政六年(1859)に本殿の再建を記念して奉納された額の文面などからうかがうことができる。
現在の本殿は、この時に建立されたもので、壁面には見事な彫刻が施された立派なものである。
祭神は木花咲耶姫命で、内陣には本地仏として、金箔を貼った厨子に納めた釈迦如来像が安置されている。
この像は厨子裏の銘文によると弘化二年(1845)のもので、六十年に一回(庚申の年、最近では昭和五十五年)開帳されている。
神仏習合時代、当社の別当であったのは、天台宗の妙観院で、『風土記稿』に「浅間社 妙観院持」とあり、万延元年の拝殿再興棟札にも「別当妙観院 十二代 法□英海」の記載がある。
信仰
「浅間様」の呼び名で親しまれている当社では、元旦祭と例大祭(六月三十日・七月一日)の二つの祭典が奉仕されている。
とりわけ例大祭は「初山」の名で知られ、幸手市内はもとより、久喜市・栗橋町・五霞村(茨城県)など、隣接する市町村から例年800人程の参詣者を集めている。
[中略]
また、六十年に一度の開帳の年には「初山」の両日、昇殿参拝を希望する者に内陣の本地仏を拝んでもらっている。