浅間神社(赤城神社を合祀) | 東京都大田区田園調布1丁目 | 旧・村社 |
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三社宮 | 神奈川県川崎市中原区下沼部 |
現在の祭神 |
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本地 |
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浅間社
除地、小名堀廻しの西の方二十四五歩ばかりの山上にあり、 勧請の年暦等も詳ならず、 祭礼は六月朔日なり、 東光院のもちなりと云、 石龕 山の上中央の所にあり、 一尺五寸四方、高さ三尺東向なり、 本尊正観音は銅仏立像にて長八寸許、 相伝此像は古佛にして此所へ垂跡ありし年代も詳ならず、 一年洪水ありし時風雨ことに烈しくして社内も破壊せしかば、尊像の所在を失ふ、 これに因て土人新に前立の木像を作りて安置せり、長八寸許、 其後(今より七十二年前を云)此所の大木の松樹かれしかば、別当より百姓等に課せて其根をほらしむるに、その辺より一躰の尊像をほり出す、 此時鍬にてかきしとて右のかひなを失ふ、 されどそのまにありしかば、文化六年土人相はかりて冶工に命じて右の手を修理して是を安置す、 その尊像及び前立の木仏共に今は別当寺におさめり、 華表 山の中腹にあり、 幅七尺巽の方に向ふ、熊野社
除地二段、 密蔵院の後にあり、 村民伝次郎が先祖森雅楽介持地を社地に寄附せしとなり、 上屋二間四方巽に向ふ、 中に一間に一間半の祠あり、 前に鳥居たてり巽に向ふ、 是も密蔵院の持也、赤城社
字長久保の下通りにあり、 上屋二間四方、中に九尺に四尺の祠あり、南向なり、 本地と云ものは地蔵の木像にて長八寸はかり、其内に安ず、 華表南向両柱の間七尺、当村東光院の持、
末社 稲荷社 本社の傍にあり、尤小祠なり
明治42年、赤城神社を浅間神社に合祀。 また、明治45年に旧・下沼部村が分村された際、旧赤城神社社殿に浅間神社を分祀して三社宮を創建。