石神社 東京都港区高輪4丁目 高山稲荷神社境内の石燈籠(おしゃもじさま)
本地 十一面観音

「御府内備考続編」巻之二十三

釈地大明神社(下高輪)

右貞観年中慈覚大師勧請、 委敷者縁起に有之候、 当社之義古来下高輪村名主支配に御座候処、 年月不知当寺持に相成申候、
○本社(二間九尺) 拝殿(二間九尺)
  神躰天鈿女神(長四寸五分)
 縁起
抑武蔵国荏原郡高輪郷に一社あり、釈地大明神と号す、 往古人皇五十六代清和天皇の御宇貞観年中に慈覚大師当国弘法之砌、此所におゐて日すてに暮たり、 森の内に当て一つの草家あり、 宿をからはやと思召立寄窺給ふに、白髪の老翁優然として座せり、 大師翁問給ふは主は尋常の翁とは思はれす、 高貴のと見え給ふ、 かゝる辺鄙に御住居不審と尋給へは、翁笑て曰、某は是娑伽羅龍王なり、 此所の海辺清浄なるを愛して出現し、常に国土を守護す、 当国は末世に至らは扶桑第一の都となりて繁栄限有へからす、 其時こそは仏法・神道並行れて繁昌なるへし、 此処また神明の霊地なれは今幸に師に託すとて一つの宝珠を取出し、是は仏在世に我女八歳のとき此宝珠を仏世尊に奉りて変成男子の相を現し、南方の浄土に至りぬ、 依て此玉を此処に留めて釈地明神とも唱へ崇給はゝ、末世に仏法を守護し国人の諸願を満足せしめ給はんと宝珠を大師にあたへ、老翁は忽然として化し去り給ふ、 程なく夜も明しかは草庵もなく木立古たる森のうちに大師は忙然とし座給ふ、 老翁のあたへ給へる宝珠は忽ち十一面観音と現し、光明輝き拝まれさせ給ひ、大師信感肝に銘し、則出現の尊容を本地仏と崇め給ふ、 夫より森の内に一つの小社を造立して教のことく釈地明神と尊号し、則大師は此森より北のかた五丁はかり退て草庵を結ひ、暫時安居し給ひし内、大日如来・地蔵尊を彫刻し、大日は草庵の本尊とし、又外に一本の木にて三躰の不動尊を彫刻し、其木元口の不動尊は草庵に残し、中程は目黒、末口は稲毛領末吉村に安置し奉る、 其後大師御登山のとき霊験あらたなれは、禁裏へ奏し釈地の勅願を申下し給ふ、
[中略]
○下高輪村安泰寺持
元は石神横町(現・高輪三丁目)に鎮座。 明治以降、高山稲荷神社に合祀