志那神社 |
滋賀県草津市志那町 |
式内論社(近江国栗太郡 意布伎神社) 旧・村社 |
「草津市史」第1巻
志那町志那神社に伝えられる十一面観音立像は、建武元年(1334)の造像銘をもつ普賢菩薩坐像とともに、志那神社の別当寺であった宝恩寺の本地仏である。
天保七年「志那吉田村惣高并諸領私領高訳帳」によると、このころ志那神社は白山権現社と呼ばれ、宝恩寺についても「社僧天台宗宝恩寺屋鋪 但シ宮建境内有之」とある〈『中辻房三家文書』〉。
「かみとほとけのかたち: 湖南地方を中心とした神像と本地仏の世界 企画展」
十一面観音立像 一躯
草津市 志那神社
木造 像高79.0
平安時代(十二世紀)
志那神社の別当寺、宝恩寺に祀られていた本地仏である。
志那神社は、江戸時代には白山大権現神社と呼ばれ、さらに地主権現(若宮、八幡ともいう)があり、『栗太志』には「村老曰此祠本社ナリ、白山祠ハ後ノ勧請ナリト、社僧曰此祠ノ神体木像ニシテ其長一尺許、其形象足ヲ跏シ手ヲ拱ス、髪ヲ被リ衣ノ袖をセマク襟ノ左リニ接タリト云」と、興味深い記事が見えている。
十一面観音像は白山権現社の本地仏である。
現在は白山神社は摂社として祀られている。