新宮神社 滋賀県甲賀市甲南町新治 旧・村社
現在の祭神 伊弉冉尊
[配祀] 速玉之男命・天之忍穂耳命
本地 阿弥陀如来

淺湫毅「京都西寿寺本尊の丈六阿弥陀如来坐像について ―移坐の経緯と製作年代―」[PDF]

伝来について

 その経緯に関して当寺の縁起をしるす『泉谷山西寿寺伝記』に詳しく述べられている。 それによると、開山の袋中上人から四世までは現在の方丈を本堂とし方丈仏を本尊としてきたが、当寺を中興した第五世の単誉愚故上人が本堂の建立ならびにそこに丈六仏を安置することを発願。 万治元年(1658)に江州甲賀郡杣二十二村の氏神で、上野村(現在の滋賀県甲賀市甲南町)に所在する新宮大明神の本地仏が朽損し、修復困難であることを聞き、移坐を計画したという。 そして、弟子の頼入を村に遣わして、社僧法印、村にある浄土宗の善願寺、村中の檀家を頼み乞い求め、馬三匹に乗せてはこぶ。 八部分にわかれていた本尊を大仏師の弟子太左衛門が接合し、その手間料である銀三百目は浦辻宗与が寄進し、光背台座は大仏師光教が作り代金銀二貫目は井川六郎兵衛が施主となり、翌万治二年十月十五日に成就したという。
[中略]
 新宮大明神は、現在新宮神社と称し滋賀県甲賀市甲南町新治に所在する旧村社である。 祭神および由緒は『甲賀郡誌』によると、一宮は伊弉冊命を祀っており、天平四年(732)に紀州より熊野大明神を勧請し、延暦年間(782~806)に現在地へと遷座したもので、二宮は速玉男命を祀り、長和二年(1013)に常陸国より鹿島大明神を勧請したものという。 また、三宮は天忍穂耳命を祀り、近世に遷座したものであるらしい。 そして、同書によると当社にはかつて「福寿院」「満福寺」という神宮寺があったという。
(史料1)
『泉谷山西寿寺伝記』
城州葛野郡御室福王子村泉谷山西寿寺者人皇一百九代後水尾院御宇寛永四(丁卯)歳弁蓮社良定入観上人袋中和尚草創也
[中略]
開山袋中上人ヨリ四世迄ハ今ノ方丈ヲ本堂トシ方丈仏ヲ本尊トス
[中略]
愚故上人当寺ヲ伝聞シ華洛巡見之時当山ニ来リ見タマフニ寔ニ幽渓ニシテ塵累ヲ去リ寂静無為安楽之霊地也 感喜ヲナシ発心願ヲ今之本堂ヲ造営ス 中尊ニ奉安置丈六之阿弥陀如来之尊容者其頃江州甲賀郡杣廿二村(今者九村)之氏神上野村新宮大明神之本地仏也