歴史 当社の創建の年代もまた不明で、その由緒を伝える史料は今のところ見つかっていない。 しかし、古くから番匠免の鎮守として祀られているとの口碑があり、『風土記稿』にも「神明社 村の鎮守なり、迎摂院持」と記されている。 神明造りの本殿に、祭神大日孁貴命の本地仏として雨宝童子像が納められているのは、こうした神仏習合のころの名残である。