仁科神明宮 長野県大町市社 旧・県社
現在の祭神 天照皇大神
本地 大日如来

「日本の神々 神社と聖地 9 美濃・飛騨・信濃」

仁科神明宮(幅具義)

 祭神は天照大神。 背後に宮山を負い、その懐ろに南面して鎮座する。
[中略]
 現北安曇郡八坂村の藤尾覚音寺に木造千手観音立像が安置されているが、その胎内板札銘によって、平安末期の治承三年(1179)当時、仁科神明宮の所在地一帯は伊勢神宮の内宮領地「仁科御厨」となっていたことが判然する。 それから程ない鎌倉初期の『皇大神宮建久已下古文書』に記された約150か所の神宮領のなかにも「仁科御厨、(中略)件の御厨往古建立なり。(下略)」とあり、さらに鎌倉時代中頃に編集された『神鳳鈔』にも、仁科御厨は内宮領で四十町歩(40ヘクタール)であったことが記されている。 当社は仁科御厨設置に伴い、その鎮守として伊勢内宮より勧請されたものである。
[中略]
 仁科神明宮の社宝としては、十数面の御正体がある。 平安時代の本地垂迹説にのっとった神仏混淆の姿をここに見ることができる。 本地垂迹説では、天照大神は本地仏大日如来の権の姿であると考えられており、したがって当社の御正体にも金剛界や胎蔵界の大日如来の仏体が多い。 それらは円形の鏡板に取りつけてあり、作風から鎌倉時代と推定されるものが中心をなしている。 在銘のものには、鎌倉時代中期の弘安元年(1278)と同九年(1286)の二面がある。 前者は平氏出身の仁科氏縁りの女性が、後者は尼妙法が施入したものであるが、蒙古襲来の物情騒然とした時代に御正体を施入して敬虔な祈りを捧げた女性たちの姿が想いやられる。 これら御正体のうち法界定印の大日如来は入念の美作で、舟型光背の唐草の透し彫りも美しい。 また智拳印のを結ぶ大日如来は堂々とした作である。 十六面中五面が重要文化財に指定されている。