塩竈神社 | 宮城県塩竈市一森山 | 陸奥国一宮 旧・国幣中社 |
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現在の祭神 |
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本地 |
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今の国幣中社塩竈神社即ち往時の塩竈一宮大明神の別当は法蓮寺なり、 元禄十五年十二月十三日火災の当時、国老津民部に上申せる住僧快信の古文書に。左宮武甕槌命(金剛界大日如来) 経津主命(胎蔵界大日如来) 岐神(観世音菩薩) 塩土翁(文殊菩薩) 事勝国勝命(釈迦牟尼如来) 猿田彦命(地蔵菩薩) 興玉命(薬師如来) 大田命(阿弥陀如来)
勝大寺 大日如来鉄仏 栗原郡金成町津久毛小迫
塩釜神社は陸奥国の総鎮守として、平安時代の初期から東北一の大社であった。 多賀城時代はもちろん、平泉藤原時代にも尊敬された。 社前の文治灯ろうはその名残である。源頼朝が平泉を征服したのち、多賀城の留守職として伊沢氏をおいた。 伊沢氏は留守殿と呼ばれ岩切城を築いた。 留守氏は平安時代の陸奥国司にならって、塩釜神社の神主となり松島円福寺(瑞巌寺の前名)をも外護した。 鎌倉末期塩釜神社に留守氏が仏式で祈願するための寺である神宮寺ができた。 この寺は多賀城高崎にあった五大院をも所領した。 塩釜神社の意義が忘れられたためか、本地垂迹説によって、この寺では塩釜神の本地仏として、大日如来を配したと思われる。 寺は真言宗であったらしい。
[中略]
勝大寺は、古くは天台宗の寺であったが、後世は真言宗の寺となった。 なぜ塩釜神社の仏様がここに移動したのかは不明である。 あるいは明治初年排仏毀釈の際、塩釜神社の別当寺であった法蓮寺の仏像を廃棄するにしのびずして、同宗のこの寺に移したものかと思われる。