| 鹽竈神社 | 宮城県塩竈市一森山 | 陸奥国一宮 旧・国幣中社 |
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鹽竈神社〈在宮城県治東五里〉 左宮祀武甕槌命、右宮祀経津主命、別宮祀岐神。 天祖始降、遣武甕槌経津主二神、経略東北地方、岐神為郷導、討夷民梗化者、東北始平、故祀三神於此。 岐神為郷導、故祀於別宮。 旧称鹽竈六社、一猿田彦、二事勝国勝、三塩土翁、四岐神、五興玉命、六太田命。 六社異其神、而一其霊。 創始極古、或日安寧天皇時遷座。 称道陸大明神。
[中略]
祠官文書。 有元禄年間法蓮寺僧快信上申書。 曰本寺安鹽竈六社本地仏六体。 曰太田命阿弥陀、興玉命薬師、塩土翁文珠、岐神観音、猿田彦地蔵、事勝国勝釈迦。
今の国幣中社鹽竈神社即ち往時の鹽竈一宮大明神の別当は法蓮寺なり、 元禄十五年十二月十三日火災の当時、国老津民部に上申せる住僧快信の古文書に。左宮武甕槌命(金剛界大日如来) 経津主命(胎蔵界大日如来) 岐神(観世音菩薩) 塩土翁(文殊菩薩) 事勝国勝命(釈迦牟尼如来) 猿田彦命(地蔵菩薩) 興玉命(薬師如来) 太田命(阿弥陀如来)
七月大祭礼前ニ、御宮いかき之外西ノ方へ仮屋を立而〈桂島より青萱苅持て右勤所作りふき申候〉六相勤申候。 其後世ニ至リ、右青苅葺之仮屋立て場へ本地堂を立候而、本地仏像六体安置して、六供、読経斗致候、護摩壇上等ハ一円無之候。 右本地仏像と申候ハ文珠・普賢・不動・観音・地蔵・弥勒右六体、別宮一体六名之御神号に配当したる由也。 其後左宮は胎蔵界大日、右宮は金剛界の大日と配当致候由也。 右本地堂、元禄年中法蓮寺地内へ引移立、于今御座候。
勝大寺 大日如来鉄仏 栗原郡金成町津久毛小迫
塩釜神社は陸奥国の総鎮守として、平安時代の初期から東北一の大社であった。 多賀城時代はもちろん、平泉藤原時代にも尊敬された。 社前の文治灯ろうはその名残である。源頼朝が平泉を征服したのち、多賀城の留守職として伊沢氏をおいた。 伊沢氏は留守殿と呼ばれ岩切城を築いた。 留守氏は平安時代の陸奥国司にならって、塩釜神社の神主となり松島円福寺(瑞巌寺の前名)をも外護した。 鎌倉末期塩釜神社に留守氏が仏式で祈願するための寺である神宮寺ができた。 この寺は多賀城高崎にあった五大院をも所領した。 塩釜神社の意義が忘れられたためか、本地垂迹説によって、この寺では塩釜神の本地仏として、大日如来を配したと思われる。 寺は真言宗であったらしい。
[中略]
勝大寺は、古くは天台宗の寺であったが、後世は真言宗の寺となった。 なぜ塩釜神社の仏様がここに移動したのかは不明である。 あるいは明治初年排仏毀釈の際、塩釜神社の別当寺であった法蓮寺の仏像を廃棄するにしのびずして、同宗のこの寺に移したものかと思われる。