白鬚神社 |
滋賀県高島市鵜川 |
国史現在社(比良神) 旧・県社 |
「近江国輿地志略」巻之三十
(志賀郡第二十五)
〇白鬚大明神社
鵜川・打下二村の間にあり。
打下村は高嶋郡なり。
此社有る地は郡界なり。
小松より四拾六町あり。
所祭神猿田彦命也。
縁起曰、白髭大明神は、皇孫天津彦火々瓊々杵尊降臨のとき、天のやちまたにて、天鈿女尊に逢、吾是猿田彦大神と名のり、伊勢狭長田の五十鈴の川上に到る。
垂仁天皇二十五年、倭姫命に逢て曰、翁が世に出る事既に二百八十万余歳とのたまふ。
亦斎の内親王に謂て云、われ寿福を人に授故、太田の神と名づく。
然後国々をめぐり、此湖に来りて釣を垂る。
湖の三度変じて桑原となりしを見たり。
老翁のかたちを現じては、白髭の明神といふ。
山門の横川にも釣垂石あり。
もとより社辺にも釣たれの大石あり。
承和八年、叡山の法勢和邇村を過る時、婦人、我は比良の神なりと名のり、観音経を聴聞せんと願ひ玉ふによつて、釈迦の出世を見玉ふやと問ひしに、其時にや、諸天多く西に飛しと語り玉ふ。
浅井備前守長政の娘、今の社を造営せり。
此明神は、日吉の早尾、熱田の源太夫、三州男川の神、同一体にして、本地不動明王なり。
又、庚申を守と申も、此神を祈る事なり。
[中略]
寿命の守札を出す。
此神寿命を守り玉ふゆへ、御䦰を以て男子女子の名を付。
例年八月五日の祭礼には、遠近の輩参詣して名を乞うく。
渡海守護礼、明神の御影、本地不動の像、抜苦与楽の印文、攘雷の御守等を出すといふ。
別当を福寿院といふ。
毎年四月辰の日より巳の日に到りて、神輿を打下村の十禅師の社に出す祭礼なり。
社司高橋氏・入江氏祭事にあづかる。
社領百石、鵜川村の内に有り。
毎年八月五日、山門の僧徒、こゝに来て法華を講ず。
夫以て、当社の御神徳は【日本書紀】【倭姫世記】【太田命伝】等に顕然たり。
【三代実録】曰、貞観七年正月十八ニ日庚子、授近江国比良神従四位下