白髭神社 東京都墨田区東墨田3丁目 旧・村社
現在の祭神 猿田彦命
本地
白髭明神不動明王
天照大神阿弥陀如来
山王権現薬師如来

「江戸名所図会」巻之七(揺光之部)

木下川薬師堂

木下川村にあり。 青竜山浄光寺、薬王院と号す。 天台宗にして東叡山に属せり。
本堂 本尊薬師如来 (伝教大師の作。脇士日月・十二神将の像は恵心僧都の彫造なり)。
白鬚明神の祠 (堂前、左の方にあり。広智逢ひたまふところの唱翁をまつる。来由は本尊縁起の条に詳らかなり。 本地不動明王の像は慈覚大師の作。垂跡の姿は老翁の木像にして荒木作りもっとも異相なり)。
天照太神宮 (神体は雨宝童子にして、本地弥陀如来の像は恵心僧都の作なり)。
山王権現宮 (神体は一塊の霊石にして、本地は薬師如来なり。むかし兵乱の頃紛失したりとて、いまはなしといへり。 ともに合はせて一社とす。この三神は往古よりこの地の鎮守なりといへり)。

「新編武蔵風土記稿」巻之二十三
(葛飾郡之四)

上木下川村

薬師堂

六間に五間半、願王堂の三字を扁す、 縁起の略云、此像は伝教大師、叡山にて彫刻し霊夢に因て下野国大覚寺の僧広智に附属し、かの僧当国に持来て唱翁と云行者に出あひ、即彼行者が住せし此地の草庵に安す、 其後慈覚大師東国行化の時草庵を一寺となし、弟子慶覚を住職として帰国せし後、貞観二年三月堂宇ことごとく成就し大梵刹となり、云々、
[中略]
別当浄光寺 天台宗江戸浅草寺末、青龍山薬王院と号す、 起立の事は前に出つ、薬師の縁起に見えたり、
[中略]
白髭社 太神宮山王を相殿とす、 当村及ひ下木下川村の鎮守なり、 白髭は前に云唱翁を祀り、白髪老翁の像及ひ慈覚大師の作なり、不動を本地仏とす、 太神宮に雨宝童子の像、本地仏恵心作の弥陀、 山王の神体は丸石なり、縁起に云、此山王の本地垂跡の像とも兵乱の時失せしより、天正五年の夏良完と云僧、法を修して其像を需めしに、六月八日の夜夢の告ありて枕の辺に此石降れり、よって神体とせし事をのす
大正4年11月5日、上木下川(葛飾区東四つ木)より下木下川(現在地)に遷座。 浄光寺は葛飾区東四つ木一丁目に現存