白髭神社 | 東京都墨田区東墨田3丁目 | 旧・村社 |
---|
現在の祭神 | 猿田彦命 |
---|
本地 |
|
---|
木下川村にあり。 青竜山浄光寺、薬王院と号す。 天台宗にして東叡山に属せり。
本堂 本尊薬師如来 (伝教大師の作。脇士日月・十二神将の像は恵心僧都の彫造なり)。
白鬚明神の祠 (堂前、左の方にあり。広智逢ひたまふところの唱翁をまつる。来由は本尊縁起の条に詳らかなり。 本地不動明王の像は慈覚大師の作。垂跡の姿は老翁の木像にして荒木作りもっとも異相なり)。
天照太神宮 (神体は雨宝童子にして、本地弥陀如来の像は恵心僧都の作なり)。
山王権現宮 (神体は一塊の霊石にして、本地は薬師如来なり。むかし兵乱の頃紛失したりとて、いまはなしといへり。 ともに合はせて一社とす。この三神は往古よりこの地の鎮守なりといへり)。
薬師堂
六間に五間半、願王堂の三字を扁す、 縁起の略云、此像は伝教大師、叡山にて彫刻し霊夢に因て下野国大覚寺の僧広智に附属し、かの僧当国に持来て唱翁と云行者に出あひ、即彼行者が住せし此地の草庵に安す、 其後慈覚大師東国行化の時草庵を一寺となし、弟子慶覚を住職として帰国せし後、貞観二年三月堂宇ことごとく成就し大梵刹となり、云々、
[中略]
別当浄光寺 天台宗江戸浅草寺末、青龍山薬王院と号す、 起立の事は前に出つ、薬師の縁起に見えたり、
[中略]
白髭社 太神宮山王を相殿とす、 当村及ひ下木下川村の鎮守なり、 白髭は前に云唱翁を祀り、白髪老翁の像及ひ慈覚大師の作なり、不動を本地仏とす、 太神宮に雨宝童子の像、本地仏恵心作の弥陀、 山王の神体は丸石なり、縁起に云、此山王の本地垂跡の像とも兵乱の時失せしより、天正五年の夏良完と云僧、法を修して其像を需めしに、六月八日の夜夢の告ありて枕の辺に此石降れり、よって神体とせし事をのす
大正4年11月5日、上木下川(葛飾区東四つ木)より下木下川(現在地)に遷座。 浄光寺は葛飾区東四つ木一丁目に現存