白比古神社 石川県鹿島郡中能登町良川 式内論社(能登国鹿島郡 白比古神社)
旧・村社
現在の祭神 白比古神
[配祀] 大己貴命・菊理媛命・伊弉諾命
[合祀] 軻遇突智神・息長足姫尊(神功皇后)・誉田別尊(応神天皇)・比咩大神・底筒男神・中筒男神・上筒男神
本地 十一面観音

「石川県鹿島郡誌」後編

白比古神社[LINK]

○白比古神社(大字良川ト部第一番地鎮座)
村社にして白比古大神を祀る延喜式内社なり。
社伝に據れば往昔大己貴命、少彦名命と共に御心を協せ国造り坐さんと遂に此の国に至りましけるに此土に容燹美麗しき乙女ありければ命即ちその乙女を媾ひまして御子生み玉ふ則ち白比古神と称へ申せり、 かくて父命此土を去り給ふ時猶荒原たりしかば命乃ち此の御子白比古大神に「有所成」と詔り玉ふや白比古神其の詔を承け継ぎ給ひ芦葦穰ひ一條の流を通じ上田窪田を作り大いに土工を起し庶民生計の途を拓き給ひ遂に此土に薨ず、 郷民其の恩沢を慕ひ宮殿を建て地名を志山良と名付けたりと実に当社の起源なり。
崇神天皇の御子、大入杵尊当国に下向し給ふや幣を納め給ふ是れ三月十八日なりと爾来国幣の察典甚と敬重に行はる貞観年中神位正四位下に叙せられ給ふ。 其後両部習合の社となり本尊を十一面観音とし別当山田寺起り総院併せて十六院を有し前田氏亦深く之を尊信し給ひ三代利常郷に至りては尊敬最も厚く神紋神領田の寄進ありと伝へらる。

「珠洲市史」第2巻(資料編 中世・寺院・歴史考古)

能登国三十三観音札所ならびに御詠歌[LINK]

第二十番 鹿島郡鳥屋町 良川の水上 山田寺(真言宗・白比古神社の本地仏といわれ一尺八寸の木仏) 十一面観音立像
 萩の露落ちて流るる良の川水上願ふ人ぞ頼もし