「江戸名所図会」巻之六(開陽之部)
下谷稲荷社
広徳寺の向かふ側にあり。
ゆゑに俗呼びて、広徳寺の稲荷と称す。
別当を正法院といふ。
祭神は倉稲魂命にして、本地十一面観世音は行基大士彫刻の霊像なりとぞ。
[中略]
当社祭礼は隔年三月十一日に執行なす。
下谷の鎮守と称す。
「御府内備考続編」巻之十四
下谷稲荷社(下谷 不唱小名)
古来より古跡除地に御座候得共、先年類焼之節記録焼失仕、鎮坐之年代等相知不申候、
但、当社延宝年中迄は屏風坂近辺大久保寺隣に有之候、
[中略]
○本社(土蔵造、二間四方) 幣殿(二間、三間) 拝殿(三間、六間) 向拝(二間四方)
神体 木坐像、丈一尺六寸、行基作
本地 十一面観音(木立像、丈一尺五寸五分、行基作、本地堂建立迄本社に仮安置仕候)
不動像 木立像
[中略]
○末社三峯社(五尺、六寸)
同 疱瘡神 天満宮 八幡宮合社(九尺、三尺)
稲荷社三宇
[中略]
○祭礼三月十一日に御座候、文化二寅年渡祭礼可有之、大火に而延引相成、其後相休申候、
○別当慈雲山長栄寺正法院(境内拝領地四百二十四坪五合、内門前町屋有) 天台宗東叡山末
「武江年表」巻之六
天明三年 癸卯
三月十四日より下谷正法院稲荷并本地十一面観世音開帳。