出世稲荷神社 東京都新宿区余丁町  
現在の祭神 倉稲魂命
本地 十一面観音

「武蔵国稲荷山大明神縁起」

大日本国武蔵国豊島郡市ヶ谷本村ノ郷稲荷山大明神の社ハ、伝聞、山城国紀伊郡稲荷大明神を勧請すとなり。
[中略]
倩此御神の本元を尋ミれは、人皇百三後花園院ノ御宇に当て、源尊氏将軍より五代の孫関東の武将源持氏の執事上杉修理太夫定政の家臣に太田備中守持資といふ人有。 武州都筑郡太田ノ郷の領主にて、則代々太田郷に住す。 後に入道して号道灌。 世に所謂太田道灌入道といふハ斯也。
[中略]
然るに此道灌の家臣に粟津民部豊重と云者あり。 或ル夜夢に白髪たる老翁の眉に八字の霜をたれ、右の手に稲穂を持左りの手に宝珠を握り儼然として告て云、同国豊島郡江戸ノ境ハ日域天府之地なり。 他日繁栄限なかるへし。 早ク汝か主備中守持資に告て、城郭を築き吾を郭内の鎮守に祭るへし。 我ハ是山城国稲荷大明神なり。 あらたに神勅を蒙るとみて夢ハ忽覚ぬ。 豊重奇異のおもひをなして、早速道灌に訴。 道灌これを聞て云、不思儀哉、我も昨夜汝と同しき霊夢を見たり。 古より夢想験有事其例なきにあらす。 且神の事ハうたかふへからすと云て、康正元(乙亥)春迅速土巧を催し、長禄元年(丁丑)秋城郭巧成ぬ。 すなはち吉日をゑらひ道灌入道江城に移れる。
[中略]
こゝに於て件の霊夢の告にまかせて北郭向の岡と云所に稲荷明神を勧請し、郭向の鎮守と祝ひ奉り、如在の祭奠おこたらさりしと云々。 是当社勧請のはしめ也。 時の人直に粟津の稲荷と呼奉りし也。 粟津豊重か夢想の神にましましけれは成へし。 猶世に所謂江府粟津の稲荷と云ハ是なり。
[中略]
夫唯一神道の説を以て稲荷の本起を申さハ、人王四十三代元明天皇御宇和銅四年(辛亥)二月十一日初て此御神雍州王城の東南二里計、紀伊郡伊奈利山に現して託宣シテ曰、我ハ是伊弉冉尊なり。 王城鎮護の為に出現せり。 此峯に社を建て稲荷大明神と崇むへしと神勅して神上らせ給ふと云々。
[中略]
夫又両部習合の説によつて申奉らは、此御神の本地ハ十一面観世音菩薩にして、其前無量劫前の仏にてまします。 直に名付て申さハ、密家に説ところの大毘盧遮那尊躰大日如来にてまします。