杉山神社 |
神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎本町 |
式内論社(武蔵国都筑郡 杉山神社) 旧・村社 |
現在の祭神 |
五十猛命 [合祀] 天照大神・倉稲魂命・素盞嗚命 |
「新編武蔵風土記稿」巻之八十五
(都筑郡之五)
茅ヶ崎村
杉山社
見捨地、二畝歩、村の西北の隅にあり、
これ【神名帳】にのせたる神社なりと云、
或は伝ふ左にはあらず、【神名帳】に載たるは、郡中吉田村に坐す杉山社これなりと、
されど当社の方証跡多きに似たれば、恐らくは当社こそ昔の式社なるべけれ、
【神名帳】に当国小社の内に、都筑郡杉山神社とあり、
又【続日本後紀】承和五年二月庚戌の條に、当社霊験あるを以、官幣に預りしことのす、
又同書嘉祥元年五月庚辰の條に、武蔵国无位杉山名神に従五位下を授け奉られしこと見ゆ、
これによれば、神田もありしなるべけれど、それらの伝も皆うしなへり、
かゝる古社なれど、中古よりおとろへはてゝ今はわづかに存するのみ、
こゝに鍵取とてこの社の鍵をあづかれる助之丞と云ものあり、今は北村を氏とす、
かれが遠祖は杉山氏なり、その所蔵の系図もあり、又家に伝へしと云記録あり、
その略に云、安房国安房郡安房神社の神主、天日鷲命の孫由布津主命の二十二代の孫、忌部の勝麻呂、人皇四十代天武天皇御宇白鳳三年秋九月、神託によりて武蔵国杉山の地に、太祖高御産巣日大神・天日和志命・由布津主命三柱の神をまつり、杉山神社と号すと云云、
また鍵預助之丞が伝へには、日本武尊を祀るとも云り、
神体は銅のごとき金にて作る、鏡のかたちしたるものにて、中へ不動の像を鋳つけたるなり、円径三寸六分ほど、
八幡神明の二座を合殿とす、
本社二間四方、拝殿二間に三間半、
前に石階ありて、下に鳥居をたつ、
ふるき棟札二枚存せり、
その一は面に甲午奉造立杉山大明神砌天文三年九月十六日としるし、裏面の文字は磨滅してよむべからず、
たゞ以悦衆生故長沢新左衛門尉源六、大工直近丹六郎太郎四郎などの数字わづかによむべし、
又一枚は奉建杉山大明神御鳥居一間事大旦那領主深沢備後守、同代官下山新介、禰宜藤原朝臣金子惣右衛門尉秀長、大工原太郎兵衛勝正、天正四年丙子十一月二十二日とあり、
これによれば昔は禰宜もありしことしらる、
近き頃まで神主玄蕃とて当社のことをうけたまはりしが、後その子孫百姓となりて今も社の鍵を預けり、
前に見えたる鍵預助之丞是なり、
別当は村内自性院なり、
例祭は年々十一月五日にて、橘樹郡平村の禰宜来りてそのことにあづかれり