宿那彦神像石神社 | 石川県鹿島郡中能登町金丸 | 式内論社(能登国能登郡 宿那彦神像石神社) 気多大社の境外摂社 旧・郷社 |
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現在の祭神 | 少彦名命 [合祀]建御名方命 <鎌宮諏訪神社>・中筒男命 <住吉神社>・大己貴命 <春日神社> |
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本地 | 薬師如来 |
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まず宮地の宿那彦像石神社に参拝。 社宝の江戸初期の青銅製懸仏は径一尺一寸一分五厘、厚さ二分の円盤で、中央に法界定印の如来像を鋳出する。 像の左右から下辺にかけて多くの文字が陰刻され、貞享二年(1685)三月に造顕したもので、裏面に「冶工加州金沢住宮崎彦九郎義一」と刻むこの鋳物師は宮崎寒雉のことで、梵鐘の作品は現存するが、懸仏は初見という。 前田家の金沢築城の時、穴水町中居から出て金沢に住んだ有名な鋳工である。
[中略]
また少し東して杉谷の円正寺に入り、ここでも江戸初期の銅製懸仏を拝見する。 もと杉谷の山間にあった神社のもので、径一尺一寸六分五厘、厚さ一分五厘、表面に法界定印の如来像をめぐって、合掌の小立像十二躰が鋳出され、種子「バイ」と「奉鋳顕薬師十二神」と刻む。 この中尊と同形の像石神社のも薬師如来と判明した。