住吉神社 山口県下関市一の宮住吉1丁目 式内社(長門国豊浦郡 住吉坐荒御魂神社三座〈並名神大〉)
長門国一宮
旧・官幣中社
現在の祭神 住吉大神荒魂・応神天皇・武内宿禰命・神功皇后・建御名方命
本地 高貴徳王菩薩 三如来・一菩薩・不動明王

「大日本史」第六編之三十二

「長門一宮住吉神社文書」[LINK]

 新造御遷宮事
  奉講讃一乗妙典、
右敬考当社住吉大明神之旧歯、大日本国鎮領地主皇帝波瀲尊也。 或為都率内院第三之大士、或亦仲哀天皇再来也。 忝為異国征伐、天降長州豊浦都、催軍旅於新羅・高麗之地、遥夷三韓。 帰朝後、垂権跡楠村里、列宮居五社。 示本地三如来一菩薩一明王。 以添和光曜神威、是号一宮。 図宿縁相応明鑒潜通之砌也。 殊皇后合体約深、八幡尊神正父也。

「防長地名淵鑑」

住吉神社[LINK]

住吉神社 勝山村字楠乃鎮座
社格、官幣中社。 住吉に坐す荒御魂神社三座、又、御蔭社と称す。 神功皇后三韓を平げて還り、軍に従へる住吉三神の神教によりて祠を穴戸国山田邑に建て穴戸直祖践立を以て祭主とす。〈日本書紀〉
[中略]
霜堤雑草云「新造御遷宮事と題せる道階の応安三年三十一日の敬白書に垂権跡楠村里列宮居五社。示本地三如来一菩薩一明王。以添和光曜神威とあるを見て初てさとりぬ。 応安の造替の以前は知らず、この応永の造替に五社を九間一面にならべつくり(この九間は寸尺の九間に非ず神殿五つ宝殿四つ合せて九間なり)三柱の神の本地を三如来として中の三つの殿に鎮せまつり左右に菩薩と不動明王とを所謂脇侍にせられたるなりけり。 然るに道行振に此国の一宮住吉明神に奉る歌四首御社の数になづらへてよめりとあれば、了俊の歌奉りける前に新に一柱の神を祀りそへたるにて、その神は摂津国の住吉、式に住吉神社四と見えて、その一座息長足姫尊なれば、それにならひて息長足姫尊をまつりそへたるなるべし。 さて是より文明に至る間に住吉三柱の神を一殿に合せて新に誉田天皇と建御名方命を祀り終に脇侍の菩薩明王を除き御蔭社を移して其脇侍は社坊の座主新福の二刹の本尊とせしにぞあるべき」と云へり。