素盞嗚神社 広島県福山市新市町戸手 式内論社(備後国深津郡 須佐能袁能神社)
備後国一宮
旧・県社
現在の祭神
素盞嗚神社素盞嗚尊
[配祀] 稲田姫命・八王子命
摂社・蘇民神社蘇民将来
本地
牛頭天王薬師如来
少将井社(稲田姫命)弁財天
天徳神(蘇民将来)聖観音

「備陽六郡志」二

牛頭天王[LINK]

 社(四間四面) 拝殿(弐間半五間) 隨神門(壱間半三間半)
 石花表 神輿蔵(弐間半三間) 鐘楼弐間ニ弐間弐尺
此辺を疫隈といひけれど、いつの比よりか戸出、相田(相方か)、福田なとゝわかれり。 当社の境内を巨旦屋敷と云。 社前に三株一所に生し、庭中に屈曲し偃たる古松有。 二株枯朽、寛延の比より漸一株残れり。 境内、後は大竹叢にして、前は松杉なとの森なり、早苗の森と云。 巨旦か植置たる苗、森叢となりたる故、根深からすして苗の根のことし、老木に成ぬれは自ら倒る故、松杉ともに大木なし。
 備後州品治郡、早苗山、天龍院、天王寺祇園社祠記
舜羽有重瞳子不同其心、 神農武答、以牛頭利見疾疫、 心不依形耶、何有異動也、 於是伊弉諾第四王子素盞嗚尊(日本記、或神素戔嗚尊、或速盞嗚尊)者、為稚童、字牛頭天王、頭戴犢角、形類薬叉、又称武答天神、 按備後国風土記、北海之武答、通南海之女子、里程数百、而日薄、於西山、馬羸糧絶、欲舘舎休焉、 無舘神敢許之、尋臻於蘇民巨旦之舘、兄弟也、 兄貧而仁、弟冨而吝、 王先於旦之家、固拒之不容、 蘇民驟出迎而、甚労之、則以粟箕為茵褥、mojikyo_font_001197以脱粟飯、 王欲報其治、教蘇族皆帯茅輪、即日有大疫、悉遭殃亡、唯除蘇家、 又王教之曰、後世疫気流行天下、一小簡書曰、吾是蘇民将来子孫、并為茅輪以輪簡係之衣袂則必免焉矣、 我是速須佐雄能神也(延喜式神名帳、須佐能袁能神社者是也)、 遂則到南海娶頗梨采女(俗号少将井神社即是、稲田姫、一曰娑竭羅龍女也)、遊戯重日、 娯楽移時、進退奴僕、誕育八子、謂総光、魔王、倶摩羅、得達神、良侍、侍神相、蛇毒気神也、 后妃親属八万四千六百五十四神也、 連誘衆眷、而趣於北海、還轅於備後州也、 巨旦之習性獣聚而鳥散、文非拒諌、以為子則不孝、以為弟則傲、慈惻闕於郷里、衆庶苦剥削、 王挙兵手揮斧鉞、張列弓矢、 巨旦於窓隙、夷滅旦族而褒賞於蘇民、 於是乎蘇民営崇祀、尊奉而禋祠焉、挙之而万代敢廃弛也、 其祠見今在于国、曰疫隅祠也、 国俗呼曰長者屋敷者、是旦之旧趾也、
[中略]
聖武帝、天平勝宝佳暦、沙門行基、西遊而到備後州、跪祠頭、慇捧法味、 神詫基曰、吾是浄瑠璃界主、為度衆生現斯地、 基随喜銘肝、鏤檀木揮斧鋸、彫剋医王善逝(牛頭本地)聖観世自在(天徳神、本地蘇民将来也)弁財天女(少将井社 稲田姫也)霊容、巍厳頗超于他也、
[後略]
正観音堂 寛延二年の春建之。
正観音堂(本地堂)は現在は素盞嗚神社の末社・天満宮の社殿となっている。