諏訪神社 東京都文京区後楽2丁目  
現在の祭神 健御名方命・八坂刀売命
本地 薬師如来

「御府内備考続編」巻之二十

諏訪明神社(小石川諏訪町)

鎮座之儀は明徳元年七月牛天神の別当梅本坊乗観勧請に御座候、
[中略]
○本社
  神躰(木立像) 本地仏薬師如来
○縁起
抑、当社の由来は記録の考るなけれは古老旧聞の口碑にまかせて略して記すに、 人王百一代後小松院の御宇明徳元年七月牛天神別当梅本坊(龍門寺昔の寺号なり)乗観法印の勧請なり、 乗観師は信州諏訪郡の人にて梅本坊俊乗に従て祝髪し、成人の後比叡山に登りて顕密の学に達しやんことなりしか、師の付属を受て当寺に住職し侍りぬ、 生産神也とて信州諏訪明神を信して年々参籠怠る事なしとかや、 乗観法印年七拾の秋例のことくに参詣せしに、風と思ひけるはかほとの嶮難のみち七十の今に至てもはや参詣なりかたし、 さあれはとて一生の大願もなしくなすも本意にあらす、我寺のかたはらに勧請し奉りて朝夕心やすく拝み奉らん、 去なから神慮斗りかたし、と角神託に任せむとて十七日籠り祈念有りしに、同月二十七日の暁に夢にあやしき人来て告て曰、 吾は諏訪明神なり、なんち嶮路を凌き来て法味を供養すること多年なり、その信じん吾もまた捨かたく守ること一子のことし、 然るに年老ひみよはりて重て参詣成かたからんとて、在国に勧請せんとの心さし吾心にかなへり、 其所に清浄の地ありやと、誠に神はあらたなりし、 法印曰く、寺の西南に当りて杉松蓊鬱として浄地ありといへは、 明神微笑し給ひ我其地の森に移りて土民を守り汝かおもひ満足せんとの給ひて光焉として飛さり給ふ(思ひ満足せる森とて今に思ひの森と云伝へり)、 然るに其日に当りて此地俄に大風吹立雷電おひたゝしき所に或は謡ひ或は笑ひ或は抑し或は舞ふ、 土人大にあやしく行て見るにものもなし、 暫して風収り雲晴て行てみれは大木の枝に白幣壱本風にしたかひへんへんたり、 土人奇異のおもひをなし是を占しむるに、尊き神の鎮座あらん、此所繁昌の祥瑞なりと申せとも、何の神と知ることなし、 然に乗観信州より帰り右神託のおもむきを語りければ、扨こそ此方にも其日に当りて不思議有と語り、 両方符節と合するかことくなれは、神霊鎮座うたかひなしとて明徳元年七月二十七日白幣翩翻の日を勧請の日と定め、 土人箪食壺漿して力を合せ宮居忽に営み、土人今に信仰して霊験あらたかなること人の知る所也、
[中略]
○祭礼正月二十七日七月二十七日
[中略]
○稲荷社 神体、木立像
[中略]
○小石川牛天神別当竜門寺持