御射山社 長野県諏訪郡富士見町富士見 諏訪大社(上社)の境外摂社
現在の祭神
摂社・御射山社建御名方神・大己貴命・高志沼河姫命 <御射山社>
国常立命 <国常立命社>
末社・大四御庵社大物主命・事代主命・下照姫命・建御名方神
本地
山御庵虚空蔵菩薩
大四御庵十一面観音

「諏方上社物忌令之事」[PDF]

中十三所名帳

一番 藤嶋大明神(不動)
二番 内御玉殿(大日)
三番 鶏冠大明神(薬師)
四番 酢蔵大明神(大日)
五番 習焼大明神(不動)
六番 御座石(大日)
七番 御飯殿(毘沙門)
八番 相本(如意輪 虚空蔵)
九番 若宮(神宮寺 阿弥陀)
十番 大四御庵(十一面)
十一番 山御庵(虚空蔵)
十二番 御作久田(宝生仏)
十三番 闕尾(弁才天)

「諏訪市史」上巻

上社と仏教

 御射山社は、上社では八ヶ岳山麓の御狩野(現在の原村・富士見町)に、下社旧御射山は、奥霧ヶ峰八島湿原南端(現在の諏訪市・下諏訪町)に鎮座している。 両御射山社とも湿原に面し、周辺を狩場としていた。
 両社の御射山社周辺は、湿原に関する原始・古代の遺跡がある。 もとは山神信仰とみられ、のち湿原祭祀、水源信仰の祭場となったとみられる。 祭神を国常立命、つまり万物にさきがけ出現した原初の神信仰太陽信仰となった。 神仏習合のなかで、国常立命は本地仏を虚空蔵菩薩とし、後世、化身である「うなぎ」の放流行事も成立した。。
[中略]
 嘉禎三年(1237)の年記がある諏訪神社神楽歌『諸神勧請段』の御射山大明神の段に「山宮コクウソイカニウレシトオホスラン」とある。 『祝詞段』にも「御射山御本地ナ、虚空蔵菩薩山宮(中略)チヨノミ神楽マイラスル」と歌われる。 これら神楽歌は、伝承され歌いつがれてきたのが、近世初期に記録されたものと考えられる。
 御射山の山神は、虚空蔵菩薩信仰として広まり、虚空蔵菩薩は、無限の虚空を蔵し、広大無辺の福徳を人にあたえ、時に鳥獣虫魚に姿を変え、利益をさずける仏だという。

「日本の神々 9 美濃・飛騨・信濃」

御射山社(矢崎孟伯)

 八ヶ岳の西南麓、諏訪大社上社の東南約13キロの地点にある。 かつてこの周辺の原野一帯は「神野」と呼ばれ、諏訪明神の御狩場であったと伝えられる。 当社は諏訪大社上社の摂末社十三所の一つで、現在も約3237平方メートルの境内を有し、境内には簡素な本殿・拝殿・神楽殿・御子屋・神事屋のほか、上社大祝の祖有員の墓所といわれるものがある。 祭神は建御名方神・大己貴神・高志沼河姫神。 嘉禎三年(1237)の奥書をもつ『諸神勧請段』には「御射山大明神」とみえている。
[中略]
 天正時代のものと伝える上社古図(旧上社権祝矢島家蔵)に御射山社の図が含まれており、そこには前述の祭神や上社諸祀官の庵のほかに、虚空蔵堂と「風祝御庵」が記名されている。 虚空蔵菩薩が御射山の本地仏になったことについて、故宮地直一氏はその著『諏訪史』第二巻に、
山宮の本地たる虚空蔵仏の崇拝に起り、 山宮を一社の大元とする意味の許に、之を大元尊と名ずけ、 大元尊神が真言神道より吉田神道にかけて国常立命とせらるるによって、 遂に現在の社名(御射山社の社殿内に二宇の社殿があり、一宇を国常立命社、他を諏訪社として併記されている)を生むに至った。
と述べて、虚空蔵菩薩を祀る国常立命社が本来の御射山に鎮まる山宮の神であるとの見解を示している。