諏訪神社 神奈川県横浜市緑区大場町 旧・村社
現在の祭神 事代主神・建御名方命
本地 十一面観音

「平成祭データ」

社頭掲示板

武蔵風土記稿大場村の条によると、元禄四年の検地では大場村は九町二段十歩と定められ神社の領域は私領分として筧三郎正重に賜ったもので、その子孫に至っているとある。 又諏訪神社の条には、「見捨地三畝、村の艮の方にあり石段六十階を登って覆屋二間に二間半、内に小祠を置く。南向なり。村の鎮守にして例祭は年々九月十日で神楽を修す。薬王寺 (王禅寺の末)の持。」 又稲荷社あり。 それによると「二畝村の巽の方にあり上屋一間半に二間、内に小祠を置く巽 (東南) 向なり木の鳥居を立つ。これも薬王寺の持なり。」
明治三十五年九月の棟札によると、神道扶桑教中講義中里村大場の白井利左衛門が奉納したもので、それによると新義真言宗王禅寺の末寺薬王寺の所有で諏訪大明神を信濃国より勧請したとある。 勧請の年月日は詳でないがこの地は徳川幕下の家臣、士族筧三郎左衛門の知行地であった。 明治維新以前は神仏混淆のお宮で、本地は十一面観音と称していたが、神仏分離の際に十一面観音を廃して、言代主神と建御名方神の二神を祭神として祀り「諏訪神社」と改称して神道に沿った神社として出発した。