諏訪神社(八幡神社を合祀) 東京都立川市柴崎町1丁目 旧・村社
現在の祭神 建御名方命 <諏訪神社>
[合祀] 誉田別命(応神天皇) <八幡神社>・木花佐久耶姫命 <浅間神社>
本地
八幡神社阿弥陀如来

「江戸名所図会」巻之三(天璣之部)

八幡宮

同所[柴崎村]二町ばかり北の方にあり。 神主宮崎氏奉祀す。 祭神本多別命一座。 相伝ふ、建長四年癸[壬]子八月十五日勧請せりといふ。 本地仏は阿弥陀如来にして、黄金仏御丈四寸八分ありて、弘法大師の作なりといへり(背面は仮面のごとく凹にして、はなはだ古色なり。按ずるに、世俗後光仏と称するものはこれなり)。 しかるに天正年間野火のため神殿烏有となれり。 このときに至り、本尊失せたまひてその所在を知る人なし。 よつてこの地の領主立川宮内某の室、このことを深く歎き思ひ、新たに弥陀像一躯を鋳て当社に収めらるるといへり。 その後、宝永年間宮社を造立せんとせしとき、境内松の枯株を穿ちて、鋤下に失ふところの本地仏金像の弥陀如来を得たり(そのときの鋤の刄の跡、尊像の御胸に印せり)。 また安永五年の夏、賊のために奪はるるといへども、霊威あるをもつて、同月八月四日ふたたび当社に還座なしたまふとなり。

諏訪社

八幡宮より六十歩ばかり東にあり。 祭神建御名方命一座。 相伝ふ、弘仁二年辛卯七月二十一日に勧請せしといふ。 当社も宮崎氏兼帯奉祀す。

「新編武蔵風土記稿」巻之百十九
(多磨郡之三十一)

柴崎村

諏訪明神社

社地除、五石六升二合、 村の南小名出口にあり、 本社一間四方、 拝殿五間に二間、 本社を距る事三十間に鳥居を立、 祭神健御方尊、 弘仁二年七月二十七日初て当村に鎮座せり、 其日を以て例祭とす、 草相撲と云を修行せり、 村内の鎮守、 神職宮本信濃持、
末社 山王社 稲荷社 共に小社

八幡宮

社地除、二石九斗二升六合、 村の中央小名横町にあり、 小社といへども前に拝殿あり、四間に二間、 本社を距ること十五歩程に鳥居をたつ、 建長四年八月十五日鎮座すと云、 神体本地弥陀の像二躰あり、 一は背の方仮面の如くくぼみ、金像にて長六寸許、僧空海鋳作といふ、 近き頃村民与八郎といふもの、円径八寸許の鏡を造りて、像の後背にたてり、 鏡背に武州多磨郡立川郷柴崎村八幡宮鏡一面、家内安全、元文四年己未八月五十嵐与八郎と雕たり、 一は銅像長四寸八分、背に銘文あり、 縁起によるに八幡の神体弘法の鋳作黄金仏一躰ありしが、野火のために本社拝殿灰塵となりしとき、其像を失へり、 時の領主立川宮内の女、深く是をなげきて別に銅像一躰を鋳て神体となす、 後寛永年中に及て社頭修造の時、はからず社地の松根より旧像を掘得たりと云、 其時鍬の刃のあたりし疵跡なりとて、今に胸の辺にあり、 是より神体二躰となれりと云、 銅像の図古仏とみゆれば上にのす[図略]
明治40年11月27日、八幡神社を諏訪神社に合祀