田県神社 愛知県小牧市田県町 式内社(尾張国丹羽郡 田県神社)
旧・郷社
現在の祭神 玉姫命・御歳神
本地 勝軍地蔵

「日本の神々 10 東海」

田県神社(津田豊彦)

 尾張地方には「県神社」と称する社が広く分布するが、近世の当社もその一つであった。 祭神は玉姫命・御歳神とされているが、必ずしも明確ではない。 社地一帯は近世には春日井郡に属していたが、『尾張志』は「当郷往古は丹羽ノ郡に属せるなるべし」として当社を『延喜式』神名帳の丹羽郡二十二座のなかの「田県神社」に比定する。 しかし、この比定は必ずしも明確な根拠をもつものではなく、式内「田県神社」の所在についてはなお多くの問題が残されている。 なお、玉姫命は、大県神社の祭神ともいわれる邇波県君の祖大荒田命の女で、尾張国造乎止与命の子建稲種命の妃と伝えられる。
 豊年祭は戦後は三月十五日に行われるようになったが、本来は小正月(旧正月十五日)の田遊びの行事であり、近世には神宮寺久保寺の社僧が司っていた。 前日までに十五尺の榊に大神札を結びつけ、米・麦・粟・黍・稗の五穀を小袋に入れて堅く結びつける。 また二尺ほどの藁人形(座像)を作り、裃を着せて太刀を佩かせ、一尺八寸ほどの木作りの朱色の男根と大陰嚢をつける。
 神仏分離以前には、十五日の早朝から久保寺で衆僧による大般若の転読があり、そのあと三番の富くじ(福富)突きが行われた。 景品は御田扇・白糸・穀桝の三種で、当たればその年は縁起がよいといわれ、人々は元旦から富くじを求めた。 富くじが終わると、午前十時頃から三丁半離れた神社へ御幸が始まり、陽物を描いた大幟を先頭に大榊、神饌神酒、本地仏といわれる勝軍地蔵の立像がつづき、そのあとに藁人形の坐像が神輿に乗ってつづいた。 途中、若い衆が「於保弁能固、県の森の、於保弁能固」と歌いつつ練り歩き、先頭の榊が鳥居をくぐると、榊に結ばれた大神符を奪おうとして群集が殺到し、大神符はもとより一枝一葉残らず奪い去って自宅の神棚に供えた。 こうするとその年は幸運に恵まれるといわれていた。 この間、行列の他のメンバーは神前に到着して豊年祈願をし、参拝者は田県明神と記した小さい三角形の御札を頒けてもらい、あとで苗田の水口に立てた。