高田神社 島根県隠岐郡隠岐の島町都万 『隠岐国神名記』所載社(穏地郡 正五位上 高田神)
旧・村社
現在の祭神 国常立尊
[配祀] 小花姫命
本地
高田大明神金剛界大日如来
天若宮胎蔵界大日如来
関白殿地蔵菩薩
少将殿如意輪観音
早富護法観世音菩薩

「高田大明神縁起」

窺以、南閻浮提大日本国隠州嶋後於都万院一部の地頭佐々木隠岐次郎左衛門殿息女に小花と云し少女あり。 俄に心をみたし物狂ひ志給処に、誠に是は不思儀なりし事共也。 乍去不似御振舞なりと申、些からめ置申せと云人も有ける処に、小花の仰には、先聞給へし。 我か今の振舞へ人間の態にては更なし。 有様をよくよく見給へしと被仰。 いかにもまち深きあしだをはき、彼御山にざくらしと申て、峨ゝとそみえたる岩尾に上り給て、成沢と申池あり。 彼池に分入り、即閻浮檀金の尊容の御神躰をいだき取て、麓に下給ふ所に人々是はそも何事にて御座すそと奉問処に、皆々しすまり聞給へし。 此御神は天竺より天下、彼御山の頂に成沢と申池有。 此池に七千歳を経給ふ。 雖然可御出世無便処に、彼小花出世に付て、不思儀に彼御神被成御目懸、花の乳母と号す前世の宿縁を以て、今御神出世し給ひて、花の乳母に御乗移り、御神託を宣給ふ。 我を高田大明神と祝申へしと有り。 就夫誠に様々の御神秘依数多成に、当地頭始て神領を寄附申されける。 目出こそ侍れ。 去程に大明神長けひきく、せいもちひさく御座に付て、都へのぼせ、せいたけ御好みにまかせ、又今の尊形の御躰内に作籠よと御託宣有。 如教奉作、三月六日に京都より大明神下らせ給。 同八日則御宝殿に入申奉て、御戸の前に錦の斗帳をかけ申、天若宮の御前にも錦の斗帳を掛申されけり。 かくて門客二躰、神子一躰御宝殿に入申、志かうして聖三日三夜参籠申、御本地供三座講を行へしと御託宣有。 其後弥日に隨て国中上下渇仰をなし、かくて同十三日暁、花の乳母阿弥陀仏の夢想に蒙られけるは、大明神で参りたりけれは、御殿の御戸をひらき見給へは、女姓のたかき御声かとおほしく御告有り。 かくて神代のそのすひしゃく(垂迹)の本源を尋ねれは、
国常立尊を神代の第一として、国狭槌尊、豊斟渟尊、泥土瓊尊、面足尊、伊弉諾・伊弉冊尊までを天神と号、天照太神を最初として天忍穂耳尊、天津彦彦火瓊尊、彦火火出見尊、彦波瀲武尊五代を地神と名付く。
[中略]
本朝には神明先出世し、倭哥をもて人の心を和け、然る後諸教渡しかは、人皆是行き。 是併護持仏法済度衆生の謀也。 故に六十余州の中に三千余座神と現、種々の方便をめくらし、様々の化縁を垂給ひに、いつれの所にか垂跡、宮社をあかめ、誰人か和光の神道を仰かさるや。 爰に隠州都万院内高田山のふもとに始て神出現ましまして、四方の衆生を利益し給に、神託厳重にして利生立所なるによて、道俗袖を列て参詣し、貴賤群集をなして礼拝す。 悉信覆の掌を合せ、皆以渇仰の頭を傾すと云ものなし。 初当忉利天よりあまくたり(天降り)ましまして年久し。 其数七千余歳とかや。 出世の時剋到来をまたせおはします事は、偏にこれ悪世濁乱の凡夫を化度利生の為なり。 諸神の誓願も又しなしな也と云とも、内証何も愚疑深重の衆生を本とし給へる事、かはる事有へからす。 然とも猶高田大明神大慈大悲正像の両時に満、末法無縁の郡類を導かんと、本地両部覚王彼最上の浄躰を弃、極悪最下の塵に光をましへ給へる事、藍より出て藍より青とは殊此御誓をや申へき。 神慮ここに明らけし。
[中略]
彼大明神天若宮の御本地金胎大日如来、阿弥陀仏と云るも両部不二の報身を弥陀と号すとかや。
[中略]
末法万年ののち、余経は悉滅すとも、猶この念仏独留りて利益せんと也。 其時も在世にかはるへからすと説けり。 今此大明神末世濁悪に出現し給、極悪最下の凡夫を利物の御誓、彼超世の悲願にひとしき者歟。 仏神の両益弥陀大日一躰分身内証猶是あきらけし。
[中略]
かくて御正躰・門客・神子等京都へ誂申へき御本地か事をうかゝい申されけるに、大明神は金剛界大日如来、天若宮は胎蔵界大日、関白殿は地蔵菩薩、少将殿は如意輪、早富護法は計都早、是も観音、一々に御託宣あり。 則本地垂迹を注て誂申。