滝尻王子宮十郷神社 和歌山県田辺市中辺路町栗栖川 旧・村社
現在の祭神 天照皇大神・天忍穂耳尊・天津彦火瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊
本地 不空羂索観音

「源平盛衰記」巻第四十

維盛入道熊野詣 附熊野大峰事

其の日は滝尻に著き給ひ、王子の御前に通夜し給ひ、後世をぞ祈り申れける。 彼の王子と申すは、本地は不空絹羂索、衆生利益の為とて、此の砌に垂跡し、当来慈尊の暁を待り給ふこそ貴けれ。

「熊野山略記」巻第二(新宮)

礼殿執金剛童子、本地弥勒菩薩、智証大師顕し給ふ。
湯峯金剛童子、虚空蔵菩薩、婆羅門僧正顕し給ふ。
発心門金剛童子、大白身観自在菩薩、麁乱神降伏の躰也。
 此神は三山に各顕御す者也。
湯河金剛童子、陀羅尼菩薩。
石上新羅大明神、文殊、香勝大師垂迹。
 湯河石上二大明神は、新羅国の神也。
地津湯金剛童子、精進波羅密菩薩。
滝尻金剛童子、不空羂索、慈覚大師顕し給ふ
切目金剛童子、義真和尚顕し給ふ、十一面観音。
藤代大悲心王童子、千手垂跡。
稲葉根、稲荷大明神、新宮、阿須賀一ツ垂迹也。
飛鳥大行事、大宮、大威徳明王、六頭六面六足、魔縁降伏の為也。
摩訶陀国にては権現の惣後見也。 飛鳥・稲葉根稲荷は同躰也。

「大菩提山等縁起」

本宮礼殿執金剛童子(智証大師顕御躰也) 本地弥勒菩薩 右手三古取、印云々、左手開押、右足モクリ、赤色身也、
湯峯金剛童子(婆羅門僧正顕御躰) 虚空蔵菩薩垂跡 左蛇取、棒上、黄衣着、右手□取、
発心門金剛童子 大白身菩薩垂跡 左手三古印、右中指無明指甲トル、白衣着、
湯河金剛童子 多羅菩薩垂跡 左手三古取、右棒モツ、赤面色、紺衣着、
石上新羅国神(智証大師語言云々) 文殊垂跡 老大臣形 右手 ス尾取、スキエホシキタリ、
地津湯童子(安恵参顕御坐) 精進波羅密菩薩 青衣着 右手ハウツク、髪巻上形川立躰也、
滝尻童子(慈覚大師参顕給) 不空羂索垂跡 黄躰童子 右剣取、左手小児ササク
稲葉根 稲荷神形□青水干白袴着 左肩稲荷右手杖ツク、
切目金剛童子(義真和尚返了) 十一面垂跡 黒炎躰 右蓮花形棒取、左念珠モタリ、左足□右コフラヲフム、
藤代大悲心王子 千手垂跡 形童子ヒツラ、左右手取尾モツ、吉形也、

「両峯問答秘鈔」[LINK]

問云、九十九所内五体王子何哉。
答云、五体王子者、
第一之橿井(藤代也)王子(本地十一面)
第二切目王子(殊光童子云云黒炎体。本地十一面。義真和尚顕之)
第三稲葉根王子(稲荷明神。本地如意輪)
第四滝尻王子(本地不空羂索。慈覚大師参詣之時顕之)
第五発心門王子(本地大白身菩薩。福領僧正顕之)

「大和・紀伊 寺院神社大事典」

滝尻王子宮十郷神社

 和歌山県中辺路町栗栖川の南端部、石船川が富田川に合流する渓谷に面し、熊野街道中辺路に沿う。 旧村社。 古くは滝尻王子と呼ばれ、熊野九十九王子の一つで五体王子(熊野権現金剛蔵王宝殿造功日記)。 本地は不空羂索観音(正中3年以前の成立とされる「熊野縁起」仁和寺蔵)。 滝尻王子跡は県指定史跡。 滝尻は「為房卿記」永保元年(1081)10月2日条に「戌剋登滝尻之人宿」とみえるのが早く、「中右記」天仁2年(1109)10月23日条には、「天晴、(此暁不浴水)、未明出宿所、渡石田川十九度、(此間号賀茂里)、巳一点来着滝尻之前川上一町許、(中略)昼養了於向岸上祓、次参王子許奉幣如先、先攀登滝上坂、十五町許踏巌畔漸行登、已如立手」とあり、王子がすでに成立していたことが知られる。
[中略]
 この王子では垢離・奉幣・経供養・里神楽などが行われ、「吉記」承安四年(1174)9月30日条に「詣滝尻王子奉幣、経供養如例、社壇前有一巫女、雖可行里神楽、依無傍輩、以一人令舞之」、応永34年(1427)住心院僧正実意の記した「熊野詣日記」9月26日条に滝尻王子への奉幣と、「御神楽つねのことし」と記される。 鎌倉時代初期かそれ以前の成立とみられる「諸山縁起」に「御山の滝尻に付きてその水に洗ふ事、尤も大切なり。右の川は観音を念ずる水、左の水は病を除くクスリの水にして、阿閦仏の下より出づる水なり、罪業深重の者踏み渡る事、惣て山内の水・木は皆不死の薬なりと思ふべし」とあり、また前掲熊野縁起に「滝尻に水浴スル事ハ、右河ハ念観音浴。左河ハ念薬師可浴」「滝尻両方河ニ橋ヨリ上ルニハ千手浄土御坐。又丑寅ヨリ流タル河ニハ薬師浄土御坐ス。彼水ハ偏其浄刹ヨリ落智水ナリ。是以テ無始無終罪滅ス」と記され、当地で行う垢離の意義を説いている。
[中略]
明治41年(1908)栗栖川の各社を合祀して十郷神社と称したが、昭和21年(1946)各々旧社地へ移祀され、滝尻王子宮十郷神社となる。