玉置神社 奈良県吉野郡十津川村玉置川 旧・郷社
現在の祭神
玉置神社国常立尊・伊弉諾尊・伊弉冊尊・天照大神・神日本磐余彦尊(神武天皇)
摂社・三柱神社倉稲魂神・天御柱神・国御柱神
末社・若宮社八幡大神・春日大神・住吉大神
末社・神武社訶遇突智神・早玉男神・高倉下神
末社・白山社菊理媛命
本地
国常立尊勝軍地蔵
伊弉諾尊毘沙門天
伊弉冊尊千手観音
三狐神倉稲魂神十一面観音
天御柱神阿弥陀如来
国御柱神薬師如来
若宮天照胎蔵界大日如来
八幡阿弥陀如来
春日文殊菩薩
その他の末社神武社金剛界大日如来
白山社聖観音

「玉置山権現縁起」

子守 三所  八大金剛童子  白山
三狐神 三所  如意宝珠  大日堂
通智無漏嶽 大毘盧遮那嶽 月見岩屋
[中略]
子守三所は蔵王子守勝手なり。
先つ蔵王権現は金輪聖王七代孫子波羅奈国王なり。 神と成り人と成り衆生利益の為王舎城之砌り檀特山の(ふもと)に蔵王三所と顕れ給ふ。 [中略] 三所は過去の釈迦七百四十五年利生を示し現在の千手一千年利生を示し給ひ当来の弥勒七百四十五年利生を示し給ふ 垂跡の始は神武天皇五十八年戊午歳十二月夜半なり 雅顕長者の謂に依る。
[中略]
次に子守勝手は地蔵菩薩毘沙門天王の垂跡なり。 或は云ふ、子守は地蔵菩薩勝手は勢至菩薩云々 およそ子守三所は法俗女の三躰なり。 正躰女躰一切衆生に悲母一子の慈悲を垂る 次の俗躰法躰或は降伏諸魔の躰を現し或は衆生の成仏の相を示す。 是れ則ち盧遮那仏の同躰済生利物の分身なる者かな。 垂跡の因縁を尋れば今は昔土佐州に一人の女人有り又伊予国に一人の男有り夫妻と成り年序を経て所生の男子四十八人有り。 夫の男出雲国に行。 盛なる子一人を相具足す。 日を歴月を経相待も来ず。 母に相随順する子四十七人。 其の三十九人は俗と成る。 残る八人は童子なり。 世間貧窮古之幾(こしき)の底に塵積るまで柴折久布留(くぶる)営みを忘れ加摩(かま)の底に魚の曽多津摩手(そだつまで)朝毛(あさけ)(けぶり)絶え波天爾毛留(はてにける)間。 母子共に相議り云々 金峯山と云所在り役行者と申聖人坐す 行て利益に預らんと云 則彼所に趣く 吉野の河辺に至りこれを見れば河水海の如くして渡れず。 暫く石の上に坐して相待の処に河の南坂より一人の行者来れり 水を歩む事陸地の如し。 行者なりと心得て事の由来を申す。 行者答て云ふ我は今南山より葛木に行て閼伽を備ふべし暫く相待つべしと云々 仍ち石の上に立て相待の程に三年の星霜を送る後に行者来り給ふ。 汝等の志深して感嘆し給ふ 相具して金峯山に登り太郎金精大明神をは地主と(として)修行門に留置く 残四十六人は山上に登る。 此の山広し。 修行者を守護せしむとて八人の童子をは峯中の八所にこれを置く。 残三十八人は一躰同心にして天下を守護すべしと云々 母は大峯の中心玉置と云ふ所に居住すべし云々 爰に夫の勝手此の由を聞き尋ね来れり。 子守云く世貧窮の時は捨て去る。 敢て顔を向けるべからずと云々。 行者諸子に告て云く父母は天地の如し、日月の母を引て父を捨てず命に随て母を諌め給ふに許されて下山す。 一の鳥居発心門に住す。 然れども山上に登れず諸子連連(つれづれ)に誘引して玉置山にては子守三所に列れりと云々
子守は母 勝手は父 金精大明神は太郎 三十八所は数子 八大童子八人童形 若宮は父に相具する子 以上父母并に四十八人子なり。
子守御前は女躰(如意宝珠を持す)仍ち額に三弁宝珠を銘すなり。 勝手大明神は一鳥居発心門に住す(左手腰を押し右手太刀を抜きて甲冑を着す) 金精大明神(本地大日如来)は二鳥居修行門に住す(金峯山の地主金神を司どるなり。俗形束帯にして帯に太刀を給ふ)。
三十八所 衣冠俗形翁老躰女形
三十八所は日本国有勢上七社中七社下七社諸神并に大和国所住大神合て三十八所の神なり。 本地金剛界三十七尊胎蔵界大日合て三十八躰なり。
若宮 童子形本地文殊一鳥居に住す。
八大金剛童子 金剛童子儀軌に云ふ 息災増益敬愛降伏法を説て仏法に大威徳神湧自在有るを知らしむ。
[中略]
白山権現(是れ伊弉諾伊弉冊尊垂跡熊野同躰の神なり 此の神は高山霊崛に卜居し利生に給ふ神なり。仍ち此の山に降臨云々)
三狐神(所謂天狐地狐人狐なり。新宮にては飛鳥に住す。則ち漢司符将軍の妻室。三大明神の母なり。権現の之御氏人千与定子。嫡子雅顕長者。次男長寛長者は今飛鳥大行事なり 其子地平符将軍。其子漢司符将軍。鎮西彦山にて上津河原大明神と号す 新宮にて牛鼻大明神と号す 本地毘沙門 其子三大明神は榎本直俊本地不動、宇井基成本地大日、鈴木基行本地毘沙門天王なり)
三狐神本地之事有極秘口伝不可及外見
[中略]
深山より南を胎蔵界と為し深山より北を金剛界と為す 玉置は胎金不二の霊地なり。

佐藤虎雄「玉置山」

玉置山の信仰 其一 神祇関係

玉置山は神武天皇東征の途上と伝承されている。 天皇の熊野より大和に入られたコースは諸所に伝えられているが、十津川を経由したとすれば、玉置山に祭祀せられたことが想像せられる。 天皇が天神より十種神宝を授与せられたので、これをその地に祀り地を玉置の峯と名づけたことを伝えている。
[中略]
かかる伝承に因んだものか、玉置神社には神日本磐余彦が配祀されている。 しかしこれは何時頃から祀られたものであろうか。 『玉置山縁起』『玉置山権現縁起』には見えていないが、『玉置山三所権現両部習合之巻』には神武社が記されて金剛界の大日如来を本地としているから、神仏習合の時代には既に祀られていたものと見える。
[中略]

一般には玉置神社は古来十津川郷中の祖神を祀り、また十津川全郷の総鎮守となされ、玉置三所皇大神或は玉置三所大神と崇められている。 この三所は国常立尊・伊弉諾尊・伊弉冊尊の三柱で諸縁起の一致するところで、鎌倉時代末には既に称えられていたものであろう。 『玉置山縁起』には草創由来の中に三柱の神を述べ、右三社は一殿にこれを祀ると記してある。

往古の状を見るに『玉置山縁起』によれば本社の外に、三狐神社・玉石社・若宮・六所宮が祭られている。 三狐神社は倉稲魂神・天御柱神・国御柱神を祭り、ここに風の神を見るは注意すべく稲荷の俗信仰が篤くなると本社に次いで重んぜられた。 玉石社は地主神で大己貴命を祀るが、社殿の無いのが注目される。 白山社には菊理媛命を、若宮には大山祇命を、六所宮には子守・勝手・蔵王・伊勢・春日・住吉の諸神を祀つている。

玉置山の信仰 其二 仏教関係

玉置山は山嶽仏教の霊場と讃えられ円珍(智証大師)が那智より来つてこの山を開いたと伝えられている。
[中略]
中古仏教弘まり、両部習合の教説により玉置山にも仏堂が建てられ、その主要なるは大日堂と不動堂とであった。 『玉置山縁起』には両部大日堂が見え、『玉置山権現縁起』には大日堂之事を詳記している。 即ち玉置の大日堂は役行者の草創にして胎金両部の大日如来像を安置し、一体は行者自作、一体は弘法大師の聖造としている。
[中略]
次に『玉置山縁起』によれば不動堂があつて伝教大師作という不動明王を安置し、ここに護摩が修せられた。
[中略]

玉置山は密教の霊場となつた関係からして、玉に因んで如意宝珠埋納の信仰がある。
[中略]
玉置山で如意宝珠を埋めた遺跡としては、玉石神社・大日堂等と説かれている。 玉石神社は前述の如く玉石を神体として社殿なく、地主神にして玉置山の奥院とも云われる霊地で、その名称から云つてもこの辺りが如意宝珠埋納の伝に最もふさわしい。
[中略]
大日堂は役行者が如意宝珠を安置するために奉造したものであるという。 且つ宝珠は大日如来の所変であり、役行者は釈迦如来の垂跡であると説いている。

本地垂跡の理によつて玉置の両部大日は伊勢内宮・外宮の本地と説かれ、また玉置の諸神にも本地仏が定められ『輿地通志』には諸社と共に本地仏刹を記している。 『玉置山縁起』には本社・三狐神社・若宮・白山社について、明治維新の取調伺書には本社・若宮・六所社・三狐神社について、それぞれ本地仏を記している。
 本社 国常立尊(将軍地蔵) 伊弉諾尊(毘沙門天) 伊弉冊尊(千手観音)
 若宮社 天照大神(胎蔵界大日) 八幡大神(阿弥陀) 春日明神(文殊)
 三狐社 稲倉魂神(十一面観音) 天御柱神(阿弥陀) 国御柱神(薬師)
[中略]
白山権現については『玉置山縁起』には聖観音と云つているが『玉置山権現縁起』には「伊弉諾・伊弉冊尊垂跡熊野同体也」と記し熊野との関連を思わしめ、三狐神については「三狐神本地之事有極秘口伝」と記してその霊験の特殊性を閃めかしている。