玉津島神社 埼玉県深谷市境  
現在の祭神 衣通姫命
本地 十一面観音

「新編武蔵風土記稿」巻之二百三十三
(榛沢郡之四)

境村

玉津島明神社

村の鎮守なり、 本地仏十一面観音を安ず、 大聖寺持

「埼玉の神社 大里・北葛飾・比企」

玉津島神社

  深谷市境81-2(境字田宮内)

歴史

 創建は明らかにできないが、別当を務めた真言宗不動山明王院大聖寺を開山した実裕が寛永九年(1632)に入寂していることから、既にこのころには当社も祀られていたのであろう。
 享保七年(1722)、神祇管領から正一位に叙せられている。
 本殿は一間社流造りで、内陣には十一面観音座像が安置されている。 『風土記稿』には、「玉津島明神社 村の鎮守なり、本地仏十一面観音を安ず、大聖寺持」とある。
 明治三年、神仏分離により大聖寺は廃寺となる。 当時、別当職にあった義全は還俗して神職となり、宮本姓を名乗る。 現宮司の宮本忠雄はその裔である。 また、この時期、十一面観音座像は内陣から出され、昭和四十年の社殿再建まで宮本家に預けられていた。