誕生八幡神社 東京都品川区上大崎2丁目 雉子神社の境外摂社
現在の祭神 誉田別尊(応神天皇)
[配祀] 神功皇后・武内宿禰
本地 愛染明王

「御府内備考続編」巻之八

誕生八幡宮(上大崎)

当社は文明年中太田道灌勧請之由御座候、
○本社(間口六間半、奥行二十間四尺三寸)
  祭神応神天皇(木像、丈二寸、弘法大師作)
  右は神功皇后懐にいたかれ候像に御座候、縁起左の如し、 夫八幡太神降誕の縁由は、人皇十四代仲哀天皇の御后神功皇后異国を征伐し給ふて御帰朝の折から、四月八日筑前の国御笠の郡宇佐の里に降誕ましまし給ふ、是を則応神天皇と申奉る、
[中略]
然るに当社を誕生八幡と称することは、むかし文明年中太田左衛門大夫持資侯(後剃髪して道灌入道と号す)の婦人懐妊の砌り、新に八幡宮を此地に勧請して誕生守護の神社と尊敬し、遂に期日に至りて男子出生し、母子ともに少しの悩もなかりけり、 是則誕生八幡の濫觴にして、しかも勧請し給ふの深意最以て尊み信ずべき歟、 依之当社祭日四月八日の神式を行ひ奉るは、則誕生の神儀を祝し奉るとの所謂也、 御神躰は弘法大師の御作にて、素この大神仏法の深味を甘し給ふか故、菩薩となり給ひて諸人を化益し、第一弓馬の道を守せ給ふこと世挙て仰く所也、 当社より妊身の婦人に腹帯をあたへ安産なさしむる事、昔より今に至まて其感応著し、今繁を恐て略するのみ、
    東都目黒永峯町 高福院
  本地仏愛染明王(木坐像、丈五寸)
  大聖歓喜天(銅坐像、丈六寸)
[中略]
○祭礼以前者四月八日に御座候処、当時八月十五日、
[中略]
○別当高福院