丹内山神社 岩手県花巻市東和町谷内 旧・郷社
現在の祭神 多邇知比古神
本地 不動明王

「御領分社堂」三

権現堂

谷内村
一 権現堂 三間四面萱葺 同[俗別当] 治五右衛門
  一 本尊不動権現 秘仏
  一 前立五躰 秘仏
  一 末社拾四躰 木仏
     内一 三躰 運慶御作 三面木像
      一 壱躰 同断 四面木像
      一 拾躰 作不詳 木仏
  一 舞獅子 壱頭
  一 仁王門 仁王弐体 運慶作木像 但長壱丈

「平成祭データ」

丹内山神社 参拝の枝折

丹内山神社は、御本社に上古開拓の祖神として、多邇知比古神をお祀りいたしております。 延命長寿、産業開発、生業繁昌、悪疫退散、家内安全、交通安全、特に安産守護の神として、地方開拓の祖神として近郷近在から厚い信仰を承けております。
神社の御創建の年代は、詳らかではありませんが、後世に至り延暦年間坂上田村麿東夷追討の節、当神社に参篭され、神威の御加護を祈られ、平定するや社堂を改め祭事を修め、厚く祭られたと伝えられております。
その後仁明帝承和年間に、釋空海の弟子日弘が不動尊を安置し本地となし、垂跡の神権現なるを以て、「大聖寺不動丹内権現」称せしめ嘉祥二年には、比叡山、座主僧円仁が勅を奉じて陸奥に下向したとき留錫したといわれます。 爾来神仏混交し、神事の典義も遂に絶え、延喜式神名帳にその名を逸することになったといわれています。
然しながら神護を以て全功をたてられた故事は神々への祈りをよび、その後250年を経た藤原氏の時代に至るまでに、堂山の山中に百八座の末社が勧請され、「苦を抜き樂を与うること普く皆平等なり」とする清衡より、仏像、仁王像を献ぜられ、神領の好地二十四町歩を寄進され、自ら奉幣すると共に、事故あるときは、その臣物部氏をもって代参せしめたと伝えられてをります。