荒神社 奈良県吉野郡野迫川村池津川 旧・村社
現在の祭神 火産霊神
[合祀] 応神天皇 <八幡神社>
本地 阿弥陀如来

「野迫川村史」

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荒神社 池津川 字荒神嶽
祭神は火産霊神である。
荒神ヶ嶽鎮座 三宝大荒神略縁起
大和国吉野郡池津川の南に当りて海抜四千二百余尺の高峯荒神ヶ嶽という所に三宝荒神の御社あり。 本地は阿弥陀如来にましまし当所の鎮守なり。 仰当社の由来を尋ぬるに弘法大師御勧請の霊神と申伝うるなり。 往昔人皇五十二代嵯峨天皇御宇弘仁七年、大師高野山大伽藍を開基し給う思召にて初めて御登山これあり。 今の壇場にて地鎮の法を修業し給う時、俄に天地振動し東の方より黒雲たなびき其中に異類異形の夜叉神顕われて大師の御建立を妨げんと種類の障碍をなしければ、大師暫く修法を止め、汝は何物ぞと問い給う。 夜叉神答えて曰く我はこれ荒神ヶ嶽に住む神也、我別に神体なし、我は則一切衆生本有倶生障の惑貪瞋痴の三毒にして一切衆生の善根功徳を障うる神なり我に九億九万八千五百七十二神等の眷属ありて、衆生の悪業力に因って、彼の眷属を不信心の家に遣し日々に七難を起し夜々に七福を減して貧窮無福の人となさしめ、一切の善事を障うるなり、若し衆生有て、勇猛精進にして種々の供具を備え、一心に我を祭らば速に本に帰し三宝荒神と現じ一切の障碍悉く消滅し一切の諸願立所に満足せしめん、七難即滅七福即生は我第一の誓願なり、汝先我を供祭せば必ず大願成就すべしと云えり。
依て大師無二の信心を凝し一枚の板に三宝荒神の御像を画きて本尊となし、一七日の間荒神供を御修行ありて、伽藍繁栄、密教守護の祈誓をなし給うて、檀上の鬼門に荒神の社を勧請あり。 而して後に大伽藍を御建立ありけるに何の障もなかりき、故に大師御一生の間は、毎月当山に御参詣ありしとぞ。
其後第二祖真然僧正を始めとして、代々の高僧各意願ある方々は参詣ありけるに諸願満足せざる事なし。 日々夜々に参詣し願にまかせて求願すなわち、成就すれば神威霊光日々に新たなり。 他の悪疫流行或は水難火難等の消滅を一心に祈願する時は、霊験忽ち著わるゝことは世人の能く知る処なれば、委しく記さず。
[中略]
 明治四十二年四月二十八日付で無格社荒神社を村社八幡神社(字八幡山鎮座、祭神応神天皇)と合併し、村社荒神社と改称し、元無格社荒神社境内へ移転合祀に許しがあった。