龍尾神社 |
静岡県掛川市下西郷 |
式内論社(遠江国佐野郡 真草神社) 旧・村社 |
現在の祭神 |
建速須佐之男尊 [配祀] 奇稲田姫尊・毒蛇気神 |
「掛川誌稿」第三巻
(佐野郡 三)
牛頭天王 昔築城の前は城中の地にありしと云へり、是は今の龍華院の山なるべし〈永禄年、天王山と云ひしは、みな此山をさせり〉
今の所に移せし年代詳ならず元和元年賜る所神田十石、
周智の郡下天方村にあり〈天王領六石、神宮寺領四石、竹内久右衛門が証文ありしと云、今伝らず〉
慶安二年に御朱印を賜はる、
又寛永十年、青山家より上様御祈念のためとて、五石の地を寄附せらる、
其證文に、懸河天王領と書れしは、昔城中にありし故なるべし、
[中略]
○按天王祠中に三躯の古像あり、其一は、束帯の神像なり、其一は本地仏とみえて、薬師像なり、其一は、理源大師なり、
薬師は半身焦げたり、昔火災の時、祠官熖火の中に飛入て、神像のみ取り出したりと云伝ふ、
仁藤村神宮寺も、旧此祠のために享禄年前に、香谷と云僧の建しとみゆれば、今其寺に薬師堂あるも宜なり、
又理源大師の像あるによれば、神宮寺初めは真言宗たる知るべし、
薬師堂、天文十九年の金皷に、下西郷懸河山神宮寺と、刻せしを以て意へば天王祠と共に郭内にありしものと見ゆれど、旧趾は詳ならず、
又元和元年竹内久右衛門が証文に、天王領と神宮寺領と一紙に書てあたへしは、據る所あることなるべし
懸河山神宮寺〈曹洞、仁藤村真如寺末〉 此寺も昔築城前には城内の地にありしと云伝れど、其旧地今知る者なし、
薬師堂に掲たる天文十九年の金皷に、遠州佐夜郡下西郷懸河山神宮寺東順改之、施主貞順、同三郞左衛門と刻せり、
[中略]
又天王の祠中に古き木像三躯あり、其一躯薬師とおぼしきもの本地仏ならん、
其供僧の寺に薬師堂を建しも由あるべし