砥鹿神社 愛知県豊川市一宮町西垣内(里宮)
愛知県豊川市上長山町本宮下(奥宮)
式内社(参河国宝飯郡 砥鹿神社)
三河国一宮
旧・国幣小社
現在の祭神 大己貴命
本地 薬師如来?

「中世諸国一宮制の基礎的研究」

三河国

Ⅰ 一宮

1 砥鹿神社。 神名帳では砥鹿大菩薩。
5 『大日本国一宮記』は大己貴命。 本地仏についての中世の記録はなし。 砥鹿大菩薩と称され、広く神仏習合信仰の対象となっている。 江戸後期の絵図によれば山頂の本社背後に薬師堂があり、薬師を本尊とする鳳来寺との関係を説く縁起をあわせみると、薬師を本地仏としていた可能性がある。
6 永禄3年(1561)11月13日「今川氏真判物」(財賀寺宛・同寺文書)に「一宮供僧」支配を認める旨がみえ、この頃供僧が財賀寺(真言宗)の配下におかれていたことがわかる。 社域の一部から平安末期の経塚遺跡が発見されている。 しかし神宮寺の存在を中世以前の史料では確かめることはできない。 近世には奥宮の神宮寺として松源院、里宮に常昌院。
7 三河国一宮砥鹿大菩薩御縁起1巻。 [中略] 文武天皇の病を加持によって本復させた三河国設楽郡煙巌山の勝岳仙人に、霊徳を与えた本茂山の神を山麓に祀ることに始まるとする草創伝承を叙述する。 王土思想とともに、仙人の本山に建立したという鳳来寺との関係をはじめ、神仏習合思想・修験思想が色濃くみられるのを特徴とする。 縁起の成立は室町中期頃までさかのぼれると推察されている。
本宮山の薬師堂跡には奥宮の末社・守見殿神社(祭神は大己貴命和魂)が鎮座する。