戸隠神社 長野県長野市戸隠 旧・国幣小社
現在の祭神
奥社手力男命
中社八意思兼命
宝光社天表春命
摂社・九頭龍神社九頭龍大神
摂社・日之御子社天鈿女命
[配祀] 高皇産霊命・栲幡千々姫命・天忍穂耳命
末社・飯縄社保食神
本地
戸隠五社奥院聖観音
中院釈迦如来
宝光院勝軍地蔵
九頭龍権現弁才天
火御子八大金剛童子薬師如来
飯縄権現不動明王
黒姫境宮毘沙門天
高妻明神阿弥陀如来

「戸隠山大権現縁起」

爰に天地開闢之初を尋ぬるに、天照大神、素戔嗚の尊のしはざ甚あじなき故に、いきどうりを起し給て天の岩屋に入て、岩戸を閉て籠給ふ。 故に世の中暗と成て昼夜の別ちもなく、万の妖起りけれは、八百万の神達是を歎き利生の道を謀り給ふ。 高皇産霊尊の御子天思兼神は、思慮の智恵ましましければ遠く慮利給ひて、常世之長鳴乃鶏を集て夜明の時を告させ、日の神の御像を写すべき鏡を作らせ、 御子手力雄命をは岩戸の掖に隠れ立せ給ひ、天の鈿売の命は天の香山のさかきを取てかづらとし、さるおがせと云ものをたすきとし、笹の葉を手に持て鈴を付たる矛を振り、 天の岩戸の前にて庭火を挙て神楽を奏して舞ひかなで給ひまじ、御子の神達の御遊ゆかしく思召て、岩戸を少し開きて御覧しける時、 世間明らかにして人の面見へければ、あら面白哉の神の御声も気高く聞へ今そかりけれは、手力雄命、岩戸を取て虚空に投げ下し給ひしに、岩戸は北国に留まりて今の戸隠山と成れり。
[中略]
抑戸隠大権現と申奉るは、奥院は手力雄命并に九頭龍大権現なり。 中院は天思兼神也。 是は手力雄命の御父にて、霊宗神道教主にして、阿知宮と号す。 神国にて智恵を主とり給神なれは、釈迦牟尼仏を本地とす。 宝光院は表春命なり。 此は皇孫この葦原中国に天降給時、高皇産霊尊の神勅を奉て供奉し給神三十二人まします中の手力雄尊の御弟にして、信濃一国を防き衛り給神なれば、勝軍地蔵を本地とす。 此も阿智の宮と号す。 火の御子は皇孫の御母栲幡ちち姫の命にて、八大金剛童子を本地とす。 飯縄明神は荼祇尼天にて、日本第三之天狗なれは、飯縄之三郎と名。 天福元年、住侶に託して降臨す。 不動明王を本地とす。 黒姫境の宮は大天縛なり。 毘沙門天を本地とす。 高妻明神は高皇産霊尊なり。 此は奥院権現并に宝光院権現之御祖父にて、中院権現の御父なり。 無量寿仏を本地とす。 此は戸隠山之最高頂なり。 乙妻の峯は天照大神降霊の地にて、胎金両部の大日如来自然の尊像あり。 惣して三十三之宝窟有て、胎蔵界十三大会の曼荼羅七百余尊、金剛界の曼荼羅五百余尊、自然に湧出し給へり、故に両界山と号す。 実に過去迦葉仏説法の宝窟、鎮護国家之霊嶽なり。
[中略]
学問行者は天の思兼の神の苗裔にして手力雄の命の子孫なれは、本迹雖殊不思議一の意より申す時は、釈迦の分身・観音の化身とも称すへし。 役の行者に師とし事へて修験道を伝へ、智行群を抽て徳験世に秀つ。 遍く諸山に遊て伽藍を諸国に興し、利益を法界に周す。
[中略]
行者此山を再興せんと欲す。 仁明天皇の御宇嘉祥三年庚午三月中旬に先づ飯縄山に登るに、雪深く巌嶮しく雲霧雷鳴して上ることあたはす。 還て半腹に住して、諸の神祇のをん為に経を読、咒を唱ふ。 命を捨て道を求む誓を発して曰、善神威を加へ我願を助け給い、我若し頂に至らずんば永く菩提に至らじ、と如是願を発し訖て其頂に登り四渓を臨むに、神霊麗をびただし。 日暮西窟に卜居して礼拝懺悔す。 壇場に瑪瑙の座あり、今の瑪瑙山御座岩是なり。 而して後金剛杵を投て誓て曰、未来仏法を繁昌し群生の福を豊ならしめん。 随て其杵遥三百余町を経て宝窟に止て光明を放つ。 時に猟師あり、杵の光りに驚て速に趨り出つ。 今の護法猟師なり。 行者杵の光りを尋て此洞に住し、地主を行ひ顕さんと欲して深く祈念する所に、地の底に声有て、声高に唱て云く、南無常住界会大慈大悲聖観自在四所本体三所権現放光与楽、と。 此音未た終らさるに聖観音の像并に釈迦文仏・勝軍地蔵、光明赫奕として紫金の蓮台に坐し、忽に湧出し給ふ。
深夜に及て南方より臭風□りに吹て九頭一尾の大龍来て曰、喜ばしき哉、行者この窟に至て錫杖を振読し、六根懺悔の浄業に依て毒気皆消して更に物を害する心なし、 ただちに我前に来れ、汝に語らん、当山は破壊既に四拾余け度なり、吾れ寺務を行へる事七箇度なり、今錫杖并法音を聞て解脱を得たり、然れは未来際に至り斯山を守護せんと誓ふ、 汝須く菩提心に住して早く大伽藍を建すへし、夫れ峯に五丈の白石あり、面は矜壁の如し、両界の曼荼羅を顕す、故に両界山と名く、前に宝石の密壇あり、 迦葉仏説法行化の処なり、総して三十三の窟あり、自然湧出の古仏一一に立給ふ、大慈大悲の化現に合へり、昼夜に万民を擁護し、悪業の群類を済度いませり、 故に一たび此山に登れは永く悪趣の苦を離れ、定業も亦能転す。 言ひ訖て住侶の法式等を定て本窟に帰去す。 本地を思へは大弁功徳天なり。

「週刊神社紀行 42 御嶽神社・戸隠神社」

五社権現本地曼荼羅

江戸時代 善光寺本坊大勧進蔵
本地垂迹説により戸隠5社の本地仏を描いた図。 最上段が奥社の聖観音、 中段向かって右が中社の釈迦如来、 同左が宝光社の勝軍地蔵、 下段向かって右が九頭龍社の弁財天、 同左が火之御子社の薬師如来といわれる。

「戸隠百首」[LINK]

1. 高妻山の神鏡

四方八面(よもやも)の峯を見おろす高妻の山をみ空にうつす神鏡
 四方八方の峯を見下ろす高妻の山を、さらに高い空に映し出している神鏡であることだ
「うつす神鏡」を、高妻山が鏡に写っているのではなく、高妻山を鏡が空に映し出している、の意ととる。
「神鏡」は、文久二年(1862年)に高妻山に仏心という者が入峯して頂上に直径63センチ、重さ40キロかとも思われる青銅鏡を安置したもの。 台に「高皇産霊阿弥陀如来」と刻されている。
高妻山は裏山十三仏の内の十阿弥陀であり、乗因の『戸隠山大権現縁起』によれば、高妻明神は高皇産霊神で本地は無量寿(阿弥陀)ということになっていて、台の刻字とも符号している。 明治に神社になってから一時、十三仏を『古事記』や『日本書紀』の神々に当てることが行われ、『裏山参詣案内記』によれば、高妻山頂は第十の祠・高妻社とされ、祭神は高皇産霊命である。 現在は、十三仏の呼び方が主で神々に当てる習慣はみられない。