十勝神社 北海道広尾郡広尾町茂寄 旧・県社
現在の祭神 大海津見神・保食神・塩土老翁神
本地 聖観音

菊池展明「円空と瀬織津姫」

蝦夷地の観音たち──背銘が語る円空の足跡

 弘前のあと、円空の次の足跡が確認できるのは、松前藩主席家老・蛎崎蔵人広林の依頼を受けて彫像した聖観音(座像)の背銘においてである。 同像は、広尾郡広尾町の禅林寺に現存しているが、これは、もともとは十勝大明神(現十勝神社)の本地仏として蛎崎によって奉納されたものだった。
 この聖観音の背面には、次のように墨書されている(禅林寺・広尾町郷土研究会『円空仏のしおり』)。
願主松前蛎崎蔵人
武田氏源広林 敬白
寛文六丙午天六月吉日
 同像を納めた厨子の表には「本地仏背後記文」と題して引用と同文が書かれている。 また、禅林寺年表には寛文六年六月のこととして、 「松前藩家老蛎崎蔵人が、主君の安泰を祈り、トカチ明神社に、円空作観音像一体をトカチ大明神本地仏として奉安す」 とあり(同『しおり』)、円空が松前藩家老に深く信頼されていたことがうかがえる。
 ちなみに、十勝は蛎崎蔵人の「給地所」であり、十勝神社は蛎崎によってまつられた「十勝最古」の社である。 十勝神社の現祭神は大海津見神とされ、その前身の十勝大明神は「茂寄村シマウス海岸に漂着した流木」の形状があたかも「竜」に似ていたため、これを「神」としてまつったところから始まったようだ(「十勝神社参百年略誌」同社社務所)。 十勝神は、豊漁祈願によってまつられた海神であったわけだが、円空のこの観音像は、同社にまつられてきたものの、明治政府の神仏混淆禁止の布達によって廃棄・廃仏されるところを、明治八年、禅林寺に移され生き延びて現在に至っている。 わたしたちが現在みることができる円空の諸像は、明治期の神仏分離による廃仏の荒波をくぐってきたものが多いことを忘れてはならないだろう。