土佐神社 高知県高知市一宮 式内社(土佐国土佐郡 都佐坐神社〈大〉)
土佐国一宮
旧・国幣中社
現在の祭神 味鋤高彦根神・一言主神
本地 阿弥陀如来

「南路志」巻十四
(闔国第七ノ一 土佐郡)

一宮村

高賀茂大明神(本村)  式社之一也
○別当善楽寺・神宮寺
○社人執行公文伝丞  ○神主永吉飛弾
○一和尚谷三木右衛門
○祭礼七月三日 此余祭日多し。
○社地 境内七反(免許)、宮林長三十三間横弐十六間(免許)、田地三代芝床、一宮村本田、貢物地下立替、但大明神者免穂地として地下より寄進。 此処昔大明神船つなき処と云。
○池 長弐間横壱間。 但池境内地面二十六代余。 本社之境内より三十間斗成戊亥之方田中に有之、此池昔より大明神之御手洗と云伝。 地下中之雨乞此池にて執行。
○本社
永禄十年より元亀元年迄に成就、長宗我部元親公建立。 遷宮之吉日、京都天文博士有春日執之書面有之。
○三十六歌仙  ○天井幡龍(狩野元春筆)
○西之御前  ○夷宮  ○若宮
○弁才天  ○籬垣 豊雍公御建立
○仁王門 忠義公寛永八年十月御建立
○一之鳥居 豊雍公より御建立、額御筆
○二之鳥居
[中略]
百々山神宮寺無量院(真言宗五台山末)
本尊阿弥陀・十一面観音。 古有回禄、寛文年中忠義公御建立。 寺領五石、外に四石八斗六舛御合力米。

「四国辺路日記」

承応二年八月十三日

一宮、南向、本地阿弥陀如来、 宮殿楼門鳥居まて高大広博なる大社也、 前太守長宗我部殿修造せられたる儘也、 当守護侍従殿、時々修理を加へらるゝと云、 前代より毎年十月に、於当社千部の法華経を読誦せらる、 当代猶以退転なく、如此真言家百五十の僧徒集会して勤之、 山号は百々山、社僧神宮寺、観音院とて、両寺有り

「和漢三才図会」巻七十九

四国遍路八十八箇寺(土佐)[LINK]

四国遍路八十八箇寺(第一番より二十三番迄阿波、其次当国[土佐]に十六箇寺有り)
[中略]
一宮寺(三十番) 在同郡[長岡郡]一ノ宮村 南向平地
 本尊 阿弥陀(秘仏)
神仏分離後の三十番札所は温泉山安楽寺(あるいは百々山善楽寺)。

「中世諸国一宮制の基礎的研究」

土佐国

Ⅰ 一宮

1 土佐坐神社(土佐神社、都佐坐神社、高賀茂大明神)。
4 明治時代の神仏分離後、神宮寺などの仏教関係の文化財は散逸し、本尊の阿弥陀如来像は安楽寺に、不動明王像は国分寺にそれぞれ移されたとされている。 また近年、四国八十八ヶ所霊場土佐一宮関係の仏教遺物と考えられる板絵両界曼荼羅も、国分寺に伝存していることが明らかとなった。 なお、30番札所善楽寺には、神宮寺とともに明治4年に廃寺となった百々山観音院(善楽寺と号し後に昭和4年、神宮寺の札所を受け継いで再興)に伝来した天文18年(1549)と推定される8月17日の土佐神社の御正躰(懸仏)が伝来している。 土佐神社の本地仏である阿弥陀如来で、「欽奉掛 土佐一宮高賀茂大明神」御正躰とある。
5 土佐大神(元土佐の国造であったと伝えられる賀茂氏、またはその同族によって奉祀されていたという。 後に一言主尊とも味俎高彦根尊になったともされる。 『皆山集』所収の「一宮御記」や「土佐国編年紀事略」等により諸説があり、混乱している。
6 別当寺として善楽寺と神宮寺があったといい(式内社調査報告)、土佐神社と両寺の3者で「土佐一ノ宮」を形成したといってよい。