東照宮 広島県広島市東区二葉の里2丁目 旧・村社
現在の祭神 徳川家康
本地 薬師如来

「知新集」第九巻(天台宗)

東照宮[LINK]

東照宮安芸郡広島新開尾長村にあり。 御神体ハ徳河神君従一位右大臣征夷大将軍奨学両院別当源氏長者家康公の御事にして、正一位大政大臣を贈り給ひ、東照大権現宮とも東照神祖命とも祭らせ給ひ、御法号ハ安国殿大相国一品徳蓮社宗誉道和大居士と崇めさせ給ふ。 御社領三百石国君より御寄附なされ、尾長山山中南面に立せ給ひ別当松栄寺をすゑ給ふ。
[中略]
一 東の方本地堂[LINK] 凡二間半四方、屋根本瓦葺、宝形作惣体朱ぬり、四方御椽付。 蟇股に許由牛を牽図并に野馬松梅にうくひす彫ものなとあり。
本尊薬師 御丈九寸三歩。

「広島市重要有形文化財広島東照宮本地堂・手水舎修理工事報告書」

広島東照宮の概要[LINK]

第一節 創立沿革
 広島城の北東およそ二・二粁米、広島を一望する地に建つ社殿である。 正保三年(1646)に芸州二代藩主浅野光泉の命により尾長村尾長山の南麓を切り開き、工事を着工した。 その造営にあたって造営総奉行には郡奉行今中兵庫相安、大工棟梁には田原忠右衛門が抜擢され、工匠の多くを京都から招聘し、およそ三年の歳月を費やし慶安元年(1648)に竣工したものである。 同年七月十七日に遷宮使、奉幣使が参向して遷宮式が挙行され、東照公はここに東照宮として鎮座したのである。 創建当時の東照宮の規模は四方五十余間で、中心社殿として本殿、幣殿、拝殿、付属社殿として本地堂、手水告、唐門、回廊、御供所、神輿庫を有しており、本地堂は境内前方東端に西面し、手水舎は西端に位置していた。
[中略]
第二節 本地堂の建築について
 本地堂は徳川家康の本地仏である薬師瑠光如来を祭るための堂で薬師堂とも呼ばれる。 東照宮の付属社殿の中ではとりわけ中心的な位置を占めるものであり、全国に点在するほとんどの東照宮に設けられていた。 云うまでもなく、東照宮は山王一実神道に基づくため、その建築形式は仏教的色彩が色濃くなっている。 然しながら、その形式、様式、規模等は無論各々の東照宮でかなり異なっている。 明治時代の神仏分離令の施行により本地堂の多くが取り壊し、もしくは移築され現在では数少ない貴重な遺構となっている。