東照宮 和歌山県和歌山市和歌浦西2丁目 旧・県社
現在の祭神 徳川家康
[合祀] 徳川頼宣 <南龍神社>
本地 薬師如来

「紀伊続風土記」巻之二十二(海部郡第二)

雑賀荘 和歌浦 雑賀山

○東照宮 境内方八町 宮山周回五十町余
 本社三座 前殿(東西五間南北二間半)
  本地堂(方四間 本尊薬師如来 脇立日光・月光・四天王・十二神将)
  三重塔(方二間 本尊大日如来 左右八幡宮・愛染明王)
  鐘楼 護摩堂(方四間 本尊不動明王)
  神輿舎(東西二間南北四間) 御供所(東西四間南北七間)
  宝蔵 竹台
  唐門 東西回廊(神楽雅楽之所)
  楼門(随身門ともいふ 東照宮三宇の額あり 日光宮守澄法親王筆)
  慈眼堂(方三間) 拝殿(東西五間南北二間)
  経蔵 御橋(日光山菅の橋に擬す)
  御池(竹生島弁財天勧請の社あり)
  石檠(社壇の下より楼門石階の左右鳥居に至るまで総て百余基あり)
  石鳥居(銘文東照宮掲日華表劉石維明維堅万世垂跡とあり 儒臣那波道円撰にして祇園源瑜の書なり)
  別当 雲蓋院(和歌山天曜寺) 天台宗
  本堂 大書院(御装束所ともいふ駿府より移し給ふ所なり)
  小書院(上に同し) 新書院  内仏殿
  方丈 外庫裡 内庫裡 表玄関
  内玄関 四足門 通用門
当院は宮山の麓にあり 御宮并に当院の草創は元和六年より七年に至る 開基は慈眼大師天海大僧正にして日光法親王の御支配なり 代々僧正に任し社領千石余を寄附給ふ 山号寺号は勅賜なり 雲蓋院の室は大猷大君の賜ふ所といふ 院中御装束所小書院は元和中駿府より移さる 新装束所松蔭の額あり 今の亜相老公親翰を染給へり 寺中六箇坊あり 下に出せり
三重塔中八幡宮愛染明王は多田満仲朝臣出陣の守本尊にして新田大炊助義重朝臣寄附の鰐口と鉄の小さき鳥居あり 今皆塔中に蔵む (八幡宮の神像御長二寸五分許幞頭冠に狩衣様の物をめすに似たり 左手弓を執しめ右手両矢を持て上に挙しめ左足を前に進め給ふ御容なり 神彩生るのことく古色有りと云へし 又鉄の鳥居高さ五寸許横四寸許 銘文内に新田大炊助源義重とあり 外に文治四戊申歳九月吉日とあり 額を懸る所八幡宮の三字あり みな陽文凸出せり)

「紀伊国名所図会」巻之二

和歌御宮

同所西の山上にあり。 御別当和歌山天曜寺雲蓋院。 天台宗にして、本尊薬師如来を奉安す
本宮奉拝御神(三座) 東照大権現・日吉山王権現・摩陀羅神。
拝殿 鰐口三口あり
唐門 本宮の前にあり。柱はすべて四季の花木を彫刻して、見るに目もあやかなり
神楽所 唐門の脇にあり。御祭のときは、八乙女この所にて御神楽を奏す
楼門 磴道の登口にあり。左右には御隨身を安ず。土人これを矢大臣といふ
三重浮図塔 本宮の東にあり。本尊大日如来
護摩堂 楼門の東にあり。五大明王・十二天尊を安ず。この所はすなわち天下安全の護摩を修し給ふ所なり
薬師堂 本堂の西にあり。堂内に安ずる所の薬師の尊像は、三河国鳳来寺の本尊を模する所にして、その余日光・月光・十二神等を安ず
開山堂 大僧正天海慈眼大師の像を安ず
弁財天祠 御橋の東にあり
御橋 欄干擬宝珠あり。こは下野国日光御境内に架する所の山菅の橋を模し給へり。山菅の御橋といへるは、往昔二荒山の開基勝道上人、始めて登山ありけるに、半途にして渓流いと深ふして、渡りなやませ給ひしかば、深砂天王忽然として現じたまひ、青赤二条の大蛇を放つて、仮に御橋となし給ふ。上人ここにおいて、山菅を苅りてその上に覆ひ、やすやすと打渡りて、登山をぞなし給ふ。これによつて後代御橋を号けて、山菅の橋とは申すなり
下馬榜 李梅渓の筆
下馬橋 石橋を架す。この前に松屋・竹屋の茶店あり
石華表 銘に曰く「東照掲曰。華表劉石。維明維堅。万世垂趾」那波道円の撰する所にして、書は御再建のとき、祇園南海これを筆す
当御宮は、元和六年庚申の歳の御造営にして、比叡山大僧正慈眼大師の開山なり。 御本地は薬師瑠璃光如来にましまして、相殿には摩陀羅神、および日光山王権現立たせたまひ、これをすべて東照三宮と称し奉れり。