東照宮 栃木県日光市山内 旧・別格官幣社
祭神 徳川家康
[配祀] 豊臣秀吉・源頼朝
本地
東照大権現薬師如来
山王権現釈迦如来
摩多羅神阿弥陀如来

「東照社縁起」巻下

掛忝東照大権現、同躰異名日光山王、 国家鎮守諸社宗廟梵釈龍天、峯々巓々護法善神、 惣而一万眷属五万八千善女等言、
[中略]
御本地薬師如来、妙覚朗然形殊珎、 仏果円満相是新、面貌端正、 秋月如雲出、白毫赫耀、春日如天晴、 青蓮眼鮮、現慈悲相、丹花唇厳、含愛敬咲、 尊容堂々、威徳巍巍、 聖衆如星列、嘆医王尊躰、 諸天如雲集、奏微妙音楽、 見仏功徳豈唐捐、観夫衆僧調威儀、 読誦御本地経、緇素合掌、一心頂礼、予静心聴聞、 我此名号、一経其耳、衆病悉癒、身心安楽矣、 貴哉称名念仏行者尚号易行、何況聞即得益乎、 奇哉神農黄帝医術、花佗扁鵲治病雖不過一穴両穴、 不及聞名療病、可信可仰々、此尊利益也、 奉拝見脇立躰、四大天王振威、昼夜衛聞名人、免七難、 十二神将発誓、日時護忝敬輩除九横日光月光囲繞左右、 照法界迷闇、忝現大権現、 広度衆生乗御願近船、到実報寂光土、 抛身砕骨何謝其厚恩

「日光山志」巻之五

御本地堂[LINK]

御本地堂 鼓楼の西に有り。 大間造、五間に十間許。 銅葺。 東向にて向拝四間に七間、鰐口を掲ぐ。 前三扉、御内陣四間に七間許、向拝、虹梁の上に虎の彫物あり。 柱金襴巻、長押上も同じく、地紋彩色、金銀を鏤めたり。 二重垂木、黒塗、滅金かなもの有り。 御内陣天井には、長八間の蟠龍、墨画なり。 狩野永真安信の筆なり。 堂内に安置奉れる尊像は、三州峰の薬師を模し給ふといふ。 左右日光・月光・十二神将・四天王・愛染明王・千手観音・如意輪観音を安置し給ふとぞ。

「木曾路名所図会」巻之六

日光

○御本地堂  本尊薬師如来。 三州鳳来寺峰の薬師を模し、二菩薩・十二神将を安置す。 此御堂、大伽藍にして美麗也。 柱金襴巻、長押の地紋に至るまで、いづれも金銀を鏤めたり。 偖宝殿の天井にハ、尺八間に蟠りたる竜の画あり。 狩野永真安信の筆なり。

御本社
此御宮以下の美麗なる事、日本第一なり。
[中略]
御本地は、薬師瑠璃光如来の応作、相殿は摩多羅神・山王権現なり。 毎年卯月・長月の御神事あり。 卯月にハ例幣使を下し給ひて、宣命を捧らる。 又御名代として高家方参勤、同じく御祭礼奉行、諸侯方二人参勤、当社の御規式厳重たる事ハ、筆端に尽がたし。 正五九月は御座主の宮をはじめ奉り、一山の僧侶・神役の面々、伶人出仕ありて、天下安泰の御祷あり。

菅原信海『日本人の神と仏』

日光山の信仰と文化財

 江戸時代になるとどういうふうに変わったかというと、日光三所権現中心の時代から、今度は東照三所権現中心の時代に変わっていくのです。 日光三所権現がなおざりにされたわけではなく、家康公を神格化した東照大権現中心になったのです。 東照宮は東照大権現を中心に、右に山王権現、左に摩多羅神を祀っています。
 東照大権現の本地仏は何かというと薬師如来です。 東照宮境内に薬師堂があります。 つまり本地仏を祀ったお堂なのです。 山王権現は、叡山の山麓の日吉山王です。 山王権現即ち日吉大宮権現の本地仏は釈迦なのです。 摩多羅神については、先ほど触れたように摩多羅神の祀られている常行堂は弥陀信仰の道場です。 だから本地は阿弥陀如来です。 そうすると、東照三所権現の本地仏は、薬師、釈迦、弥陀の世界になってくるのです。