東照宮 宮城県仙台市青葉区東照宮1丁目 旧・県社
現在の祭神 徳川家康
本地 薬師如来

「宮城県史」巻十三(美術・建築)

三、東北の位置と仏像[LINK]


 東照宮 薬師如来 仙台市東照宮一丁目仙岳院
 二代藩主伊達忠宗は政宗歿後借金の多い藩をついだが、翌寛永十四年領内の大水害にあって全く途方にくれ、政宗歿するときの「困ったときは相談せよ」との将軍徳川家光の言葉により、幕府に銀五千貫(八万六千余両)の借金を申しでて許され、これで領内の復旧を実施し、ほぼ十年後に完了した。 幕府の恩顧をうけた機会に東照宮建立を願い出て許され、葛西大崎一揆の際に家康が宿営した小田原玉手崎天神社地に東照宮を勧請した。慶安三年(1649)十月着手し、三年半を来要して落成した。 造営奉行は富塚内蔵助重信、山口内記重如、小如師奉行柳生権右衛門厳戒、大工は梅林彦作であった。
 東照宮の本地仏は薬師とされていた。 よって薬師や十二神将も安置された。 明治維新に際し、排仏毀釈によって神社から仏教関係のものは一切取り除かれた。 東照宮の薬師も厨子ごと運び出され別当寺であった仙岳院に移された。