「江戸名所図会」巻之四(天権之部)
築土八幡宮
津久戸明神の宮居に並ぶ。
地主の神にして、別当は天台宗松雲山無量寺と号す。
祭神、応神天皇・神功皇后・仲哀天皇以上三座なり。
相伝ふ、嵯峨天皇の御宇、この地に一人の老翁住めり。
つねに八幡宮を尊信す。
あるとき、当社の御神この翁の夢中に託して、永くこの地に跡を垂れたまはんとなり。
老翁奇異の思ひをなす。
その翌日一松樹の上に瑞雲靉靆して旌旗のごとくなるを見る(松雲山の号ここに発るといふ)。
ときに一羽の白来つて同じ樹間にやどる。
郷人、翁が霊夢を聞きて、ただちにこの樹の下に瑞籬を繞らして、八幡宮と崇む。
遥かの後、慈覚大師東国遊化の頃、伝教大師彫造したまふところの阿弥陀如来を本地仏とし、小祠を経始す。
その後文明年間、江戸の城主上杉朝興社壇を修飾し、この地の産土神とすという。
「御府内備考続編」巻之八
築土八幡宮社(牛込築土)
当社八幡宮の此所にあとたれ給ふむかしを尋るに、伝いふ、
人皇五十二代嵯峨天皇の御宇武州豊嶋郡牛込の里に一人の翁あり、
年毎に放生会をし八幡宮を信心奉ること人に越えたり、
時にある夜の夢に神霊顕れ給ひ、われ汝か信心を感し此里にあとたれんとのたまふ、
翁夢さめて奇異の思ひをなしきよめて拝し奉らんと井のもとに行けるに、
一松の上に幡に如くして八雲棚引たり、
雲中より白派とあらはれいてゝ松梢にやとる、
猶さらすしてありけれは、翁其のよりを里人にかたる、
則神霊のましませしことをしり、俄に瑞籬注連ゆひまはし松樹をまつる、
かくて慈覚大師関東に遊ひ給ひしとき、此よしきかせ給ひ、一つの洞をつくり給ふ、
さりけるに伝教大師神像を割給の事一刀三礼にして彫刻し勧請奉りしと伝へたり、
夫神徳のあらたなる事いふへくも余あり、
抑勧請奉るとき筑紫宇佐の宮土をもとめ礎とし、故築土之神社と名付と云々、
寛永二乙丑年二月十八日
○本社 拝殿(間口六間、奥行三間) 幣殿(間口二間、奥行四間)
内陣(二間四方)
祭神応神天皇(木立像、伝教大師作、丈五寸七分)
同前立(銅坐像、弘法大師作、丈七分)
脇立仲哀天皇(束帯馬乗像) 神功皇后(甲冑馬に乗像)
○護摩堂本尊
不動明王(木坐像、慈覚大師作、丈壱尺四寸)
左右大威徳(運慶作)
降三世 軍荼利 金剛夜叉
○本地堂(二間四方)
本尊聖観音(木立像、弘法大師作、丈ケ二尺八寸)
脇立阿弥陀如来(恵心僧都作、木坐像、丈八寸三分) 薬師如来(木立像、慈覚作)
右本尊は往古の三十三所の札納には十三番に入はへりしか、いま山の手と分ちはへりてより第三のかすにあたり候、
[中略]
○祭礼之儀者、毎年八月十五日定例に而、正五九月十四日火伏神事神楽大般若修行有之候、
[中略]
○末社
八幡稲荷合社(間口六間、奥行九間)
高良明神社(間口六尺、奥行九尺)
祭神武内大臣 住吉明神(木立像、伝教大師作、丈四寸八分)
右者大破に付当時畳置申候、
十三社(間口二間半、奥行六尺)
山王 荒神 大黒 弁天 毘沙門 聖天 吒枳尼天 守夜神 愛宕 妙義 天神
[中略]
○別当松雲山常光院無量寺 天台宗東叡山末